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 6月25日

 リネージュの[重さ1]って実際にはどのくらいの重さなの?

 こんな素朴な疑問を抱いたことは無いだろうか。たかがゲームそんなこと気にしていちいちプレイしてないやいっ。なんていわずに一緒に考えてみてほしい。

 重量挙げ105kg超級の世界記録はイランのレザザテ選手で263.0kg。つまり人類で最も力持ちの人ということだ。これをリネージュに当てはめてみると、STR25、CON25のキャラということになるだろう。ドーピング(エンチャント)や補助具(積載補正ベルト)なしでこのキャラが持てる最大積載量は1500+(25+25-18)×150=[重さ3900]である。[重さ3900]=263.0kgだから263.0÷3900=0.067より。[重さ1]は67グラムぐらいということになる。

 Mサイズの鶏卵一個の重さはだいたい55g〜65g。そしてリネのエッグは[重さ1]。これはわかりやすい。卵を基準にすると、[重さ1]は60グラムになる。また、一般的なサイズの日本刀の重さは1kg。鞘も含めると2kgといったところだろうか。katは[重さ40]だから、[重さ1]は50gになる。

 こうやっていろいろなものを基準にしてみると、[重さ1]は、だいたい60グラム前後ということになった。これで一件落着!となればいいのだが…。色々おかしなものもある。ワインとウィスキーは一本[重さ0.16]これを上の条件でグラムに直すと約10g。どんだけミニチュアボトルやねん!カルマを積んでバルログ様からもらえるイアリングは[重さ15]だから900gになる。いくらなんでもそんなに重いイヤリングつけたら全員、耳長様にクラスチェンジだっ!!

 さて、あなたは[重さ1]をどれぐらいの重さだと感じていましたか?

 6月21日

 何年か前に、ある考古学者が自ら持ち込んだ石器を、あたかもその場所で発掘したかのように装っていたという事件があった。その後の調査で、その人が関わった発掘場所のほとんどすべてにおいて捏造が明らかになった。このデータをもとにかかれた論文、時代考証など、すべてのものが再検証されることとなり、日本の旧石器時代の考証は一歩も二歩も後退した。

 こういうことは、珍しいことではないのではないだろうか。このような間違いの元に歴史は作られているといっても過言ではない。私が学生のころは、聖徳太子は厩戸王なんて呼ばれていなかったし、いい国(1192)作ろう鎌倉幕府なんていう語呂合わせもありましたが、いまでは1185年(いい箱?)説の方が有力らしい。

 間違った情報を元に、数々の間違った文献が作られても、それを後世になってから調べてみれば、複数の文献に書かれている信頼できる情報ということになってしまう。そして今となってはそれを確かめるすべはほとんど無い。

 年金記録の入力ミスが5000万件ほどみつかり、宙に浮いた年金問題などと世間を騒がせているが、コンピューターへの入力ミスがそんなに大量に発生していたということは、元々の手書きの年金記録台帳ですら信頼性に乏しいといわざるをえないのではないだろうか。間違った台帳をもとに間違ったデータを入力されている場合もあるのでは、と思うのだがどうもそこまで調べてはいないようだ。

 結局のところ、そんな不確かな年金なんて当てにしないで、自分の老後は自分で責任を持とう、ということだろう。別に、年金制度に反対してるというわけではない。ちゃんと年金も払っている、というか、払いたくなくても給料から勝手に天引きされているしがないサラリーマンである。まぁ今、親がもらっている年金の分を、私が払っていると思って納得している。

 6月20日

 2003年6月20日アルタイルサーバー誕生。

 子どもの頃に一度だけ、家族に誕生日を忘れられていたことがありました。親は、次の日になってから気づいて、真っ青な顔をして大慌てで謝ってきましたが、そのときにはもう私は、へそを曲げていて冷たい態度であしらってしまったことを覚えています。最近忙しくってつい忘れてしまったとか、どうしていってくれなかったのとか、言われれば言われるほど態度を硬化させ、結局その年は誕生日会もプレゼントもいらないと強情張ってしまいました。本当はミニ四駆が欲しかったのに。

 今では自分の誕生日なんてどうでもいいし、できることならこないでほしいとも思いますが、子どもの頃にはやっぱり大切な日であると思います。4歳にして、「今忙しいから誕生日はまたあとでっ」と言われてしまったアルタイル君の心傷やいかに。せめて今夜はGMが降臨して、おめでとうというぐらいのことはしてもらわないと、グレてしまうかもしれません。

 6枚目の記念コインで何が起きるのか、少し待たせる分、いつもとはちょっと違ったイベントを期待しています。

 6月18日

 ここ数年の間に検索エンジンが急に使いにくくなったように感じる。検索結果の精度と信頼性が目に見えて落ちているのだ。その原因としてひとつには、情報を発信する人があまりにも多くなりすぎていることがあげられる。情報が多すぎて取捨選択すること自体が困難になっているのだ。また別の要因として、インターネットを広告媒体として企業が利用するようになったこともあげられるだろう。

 Googleが検索と広告を結びつけて、そこに新たな収益モデルを構築して以来、多くの企業が自社のwebページを検索上位に乗せることに力を注いでいる。慈善事業じゃないのだから、検索会社が収益を求めるのはしかたのないことだが、そのことが逆に検索の信頼度を落としているのだから笑えない。

 フリー百科辞典Wikipediaが最初に作られたとき、私はその信頼性に疑問を抱いたが、最近になってそのフリーゆえの中立性が逆に信頼度を上げているのだと気づかされた。善意で成り立っているからこそできることなのかもしれない。

 「ググる」が日本語として定着しつつあるが、こんな状態では近いうちに、ググってもよくわからないことだらけになってしまうのではないだろうか。現状でさえ、頭を使ってググらないと、信頼性のある情報は得られないのだから…。

 6月16日

 チャットと方言。

 九州沖縄から北海道まで日本全国からたくさんの人がリネにINしているのに、チャットをする時方言を使っている人は少ない。同郷同士の人の会話の場合でも、標準語を使っているように見受けられる。これをなんだか寂しく感じる。せっかく多様な表現方法を持っているのだから、もっとお国言葉を流行らした方が楽しいと思うのだが。そうでなくとも、チャットは文字でしか表現できない分、微妙な言い回しやニュアンスを伝えるのが難しいのに、語彙を減らしてまで標準語にこだわる必要はないと思う。

 関西弁はごっつノリがよくって、勢いを感じる。博多弁は、底抜けでばり明るい、広島弁はえらい怖い感じ。京言葉には温かみと静けさをぎょーさん感じるし、名古屋弁はでら楽観的。東京弁には下町っぽい一途さをべらぼうに感じる。津軽弁はちょっとなに言ってるかわからないところがあってゴメンって感じで申し訳ない、アイヌ語に至っては北海道生まれの私でも意味不明使途不明。

 ごっつい、ばり、えらい、ぎょーさん、でら、べらぼう、たげ、なまら。すごいだけでもこんだけ使いまわせたら、超スーパーデラックス鬼ゴリいけてるかもっ。

 日本では学校で標準語を使った指導が勧められたせいか、方言を使う人が劣等感を感じたり、差別されたりして方言が死につつある。テレビもラジオも標準語が当たり前だし、せめてチャット文化の中には、各々自身の手で方言を残してもらいたいものである。

 6月14日

 部屋で一人チャットをしているとき、発言内容を同時に口でもいっていることは無いだろうか。最近、挨拶や突っ込みなどを実際に声に出していることが多いことに気がついた。昔、誰かが「長い間一人でいると、時々独り言を言うようになる」といっていたが、まさにその状態なのかもしれない。誰もいない家に帰ったときに、ただいまといってしまったり、テレビに向かって文句をいってしまったりするのと同じ感覚だろうか。こちらは私はしないのだが。

 しかし何故か、モニターに向かっては「むきょっ」「ぎょええー」「はぁうあっ」「きゃー」など普段は絶対口にしないようなチャット言葉をよく口にしている。…(三点リーダ)を「てんてんてん」と言ったり「キーター」なんてのも現実には絶対に使わないが、画面の前ではよく叫んでいる。これを傍から見たら、かなりアヤシイ男かもしれないなと思った。

 昔、シーマンというゲームがあったが、知っているだろうか。シーマンという怪魚を育てながら、そいつとマイクを通して会話をする、というかなり斬新な発想のゲームだった。友達の家にあって、それをそいつが一人でやっている姿を想像して大爆笑したものだが、思えばこんな感覚だったのかもしれない。あのゲームが大ヒットした裏には、一人暮らしの寂しさがあったのか…。当時は何故これが売れるのかわからなかったのだが。

 6月12日

 囚人のジレンマ。

 ある事件において、共犯と思われる二人の容疑者が別件逮捕で捕らえられた。決定的証拠が無い二人は、完全に隔離されたうえで双方に同じ条件が与えられた。もし、双方ともに黙秘を続ければ、別件容疑でしか罪を問えないため懲役2年ですむ。しかし片方が自供した場合、自供したほうは司法取引により無罪となり、もう一人は懲役10年となる。もし双方ともに自供した場合は、ともに5年の刑となる。

 このようなとき、囚人がどのような行動を取るのがよい戦略であるか、というのが囚人のジレンマと呼ばれるモデルである。ゲーム理論や経済学において、個々の最適な選択が全体として最適な選択とはならない例としてよくつかわれる。

 さてこのような時囚人はどう考えるか。相手が黙っていた場合、自分が自供すると無罪で黙秘すると懲役2年。相手が自供した場合、自分が自供すると懲役5年で、黙っていると懲役10年。つまり相手がどうしようが、自分は自供したほうが有利になるので、自供をする。これを2人ともが考えて、結局共に5年の刑となる。個人的には有利な選択をしたのにもかかわらず、必ずしも最適の結果にはならなかった。共に黙秘していれば2年ですんだのだ。

 個人個人が最適な選択をすることが、結果的に集団の不利益となり、ひいては個人の不利益となる。現実問題でも、価格破壊競争をしてしまう商店や税率と公共福祉、国同士の軍備の増強など様々な社会問題に応用が可能である。お互いがほどほどのところで妥協し、互いにそこそこの利益の出るポイントを探っていくことが大事である。いつでも自分がよければと考えることは、かえって自分にとっても全体にとっても損になることがよくある。

 6月11日

 COIジャンプとフュージョン。

 COIジャンプ:COIやインビジ、ブラハイなどでインビジ状態のPCの上に他のPCやNPCが重なった状態で、出現行動(COIを脱いだり、ディテクしたり)をとると周囲4,5セルの位置にランダムテレポートする仕様のこと。

 フュージョン(合体):同一セルに多数のプレイヤーが重なって戦うこと。

 通常8人でしかBOXできないボスなどに、フュージョンを使えば理論上は何人でもBOXできる。が、狙って同一地点にプレイヤーが重なるのは難しいので、インビジ状態を利用する。つまり、インビジで消えたプレイヤーの上に重なるわけだが、重なった後ディテクやCOIを脱ぐなどの行動を取ると、COIジャンプが発動して周囲に飛ばされてしまうので注意が必要。発動させないためには敵の攻撃を喰らって出現する必要がある。GAQやTSなどは範囲魔法を持っているので消えて重なったあと何もしなければ簡単にフュージョンできる。間違ってもディテクをしないように。(注・セイフティゾーンではCOIジャンプは発動しない。よってNONPVP鯖ではディテクしても可能)

 6月7日

 不祥事があった場合、一般的には辞職、減給、謹慎などを行う。たいていの場合、その仕事を続けずに謹慎する。そしてその間に、二度と不祥事を起こさないよう努力する。

 ケーキの品質に問題があったのなら、安全な生産ラインを確保できるまで生産を中止する。有名人が喫煙や暴行、薬物使用行ったら、その社会的影響を考え活動を自粛し、丸坊主などにして反省を示す。捏造報道を行ったのなら、番組枠返却し、スポンサーを干されてでも、社内改革に努める。

 これが道義的責任のとり方というものではないだろうか。道義的責任を取ったから許されるというものでもないし、それで信頼が回復できるかどうかも、また別の話ではあるが。

 名前だけ変えて、事業を継続するなど馬鹿にするにもほどがあると思う。社内改革や体質改革案を先に示すのが道理ではなかろうか。介護事業にこのような体質の企業が関わっているということ自体が間違っているのだから。しかしこのようなことがあっさり認められると、社会保険庁改革案も結局名前だけ変えたんじゃないのと言われても仕方がない。

 国民の為、弱者のためになんてもっともらしいことをいって、無理が通れば道理が引っ込む。こんな世の中にはしたくないと思う。しかし、最終的な判断は、有権者や顧客である私たちが握っている。そのことも忘れないようにしなければならない。

 

 6月6日

 「お前こどもっぽいな」は褒め言葉と私は受け取る。大人にならずにいつまでも子どもでいたいと思う。ピーターパン症候群だろうか。

 嫌いな食べ物は絶対に食べないし、横断歩道を白線だけ踏んで渡ったりする。くだらないことで意地を張るし、負けず嫌い、人と同じ事をするのが嫌なひねくれ者で、集団にはあまりなじまない。根はけっこうわがまま。

 ずーっとやりたいことだけやっていられたらなぁとよく思う。「働かざるもの食うべからず」は下品だと思う。「一日なさざれば一日喰らわず」であるからつまらないこともやっているのである。

 6月5日

 すばらしき店員。

 久しぶりに訪ねてきた友人とふたりで、レストランに行き夕食を取った。食事を終えた後、店員が来て尋ねた。「お会計はご一緒でよろしいですか?それとも、別々になさいますか?」友人が答え「別々で」と言った。すると店員は私に尋ねた。「あなた様の分も別々でよろしいですか?」

 これはどういうことなのだろう。お馬鹿なマニュアル接客と笑い飛ばしてしまうべきなのか。それとも、こいつは別々にといってるけど、お前が全部払うべきなんじゃないの?と遠まわしに気を使っているのだろうか。後者だとすると、この店員は一瞬にして私達の関係を見抜いていた、ということになる。

 馬鹿と天才は紙一重、よく言ったものである。

 6月3日

 小学校5.6年の二年間毎日日記を書かされた。めんどくさいと子供心に感じていて、たいてい本当にあったことなど書かなかった。適当に先生の喜びそうなことを書いて、実際にそれで褒められた。実にくだらない。

 毎日の記録を残し、そのとき自分が感じたことを文章にするというのは、そこそこの意味がある。自分の考えなんて毎日変わるし(変わらなかったらそれこそ問題だが)ましてや、それを文章にして他人に伝えるなんてなかなかできることではない。だから、それを残し、伝える訓練をすることには価値があるだろう。

 しかし、そもそも「自分の気持ちをわかってもらいたい」ということが大前提であって、「誰かに褒めてもらいたい」という動機ではまともな日記にはならない。学校で書かされる作文や入試の小論文と一緒で、起承転結お決まりの構成で、お涙頂戴のテーマ、常套句の嵐、どこかで見たような読んでいて意味の無い文章になる。そういった意味では、最近流行のブログなどは多少まともである。誰ともしらない相手に、誰もいないかもしれないのに、気持ちを伝えようとする前向きな気持ちがみえる。いっそ日記を書かせるのを止めて、ブログを学校の先生が読めばいいのではないか。

 自慢したい、誰かに見てもらいたい、褒めてもらいたい、同情してもらいたい、こう思わなくなるほど素直な文章が書けるようになる。カウンターを気にして書いているうちは、まだまだかなと思う。そしていっそ誰も読まなくなればそれが本当の日記ではないか。

 6月2日

 公式ページでは報告されていないが、今週は夢幻の島でモンスター召喚イベントが行われている。朝昼晩の三回様々なモンスターが夢幻の島を占拠する。鯖中のプレイヤーが集まって、あっちにワーッこっちにワーッと動き回り、祭りの様で楽しい。昔からそういう性分なのか周りがドンチャン騒ぎをしているとそれだけで自分も楽しくなってくる。

 たくさんのプレイヤーが押しかけるので、夢幻の橋は毎回大渋滞。でもその人垣の隙を突いて、スイッスイッっと前に進んで行くのもまた楽しい。人が多すぎてラグが多発し、PCはカリカリカリカリ悲鳴をあげるがこれは仕方あるまい。しかしふと気づいてみれば、門バグ現象がかなり緩和されている印象を受ける。昔ならこれだけの人が橋に殺到したら門バグでどうにもならなくなること請け合いだったのに、立ち往生する人がほとんどでていない。いつ直ったのだろうか。

 一時期はどこにでも見られた、外国人プレイヤーもかなり息を潜めてきているし、エントマクロやBOTなども激減しているらしい。虫歯といっしょで、人間痛みがなくなると、そのありがたみも忘れてしまいやすいのだ。冷静に見ても、最近のNCJはかなりがんばっているのではないだろうか。完全に障害が取り除かれたとは言い切れないので公式発表はできないのだろうが、現状にはかなり満足をしている。賞賛を送りたい。