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 9月29日

 報道する価値の無いもの。

 「報道する価値の無いもの」という考えは、ジャーナリズムの本質を解く鍵のひとつである。どれを大衆の目に触れさせ、どれを触れさせないのか決めるのは、マスコミなのだ。どれを世間に流しどれを流さないかを決めることで、ニュースをコントロールし、何が国民の知る権利の対象になるのかまでをも決めてしまうのである。だから、どんな人間でもおもいのままに成功させることも失敗させることもできるのである。

 そういうわけで、世間に知らせるほどでもないニュースが報道され、たちまち大きな問題となって膨れ上がったりする。政治がらみの場合、特にそういうことがおこる。成し遂げた大きな業績より、小さなミスが大きく取り上げられる。大物であればあるほど。

 なんだか最近のニュースを見ていると、重箱の隅をつつくようなアラ探しばっかりしているように感じる。もっと大きな問題が色々あるように思えるのだが…。

 9月27日

 性能の良いPCを作るのがパソコンメーカーの仕事だ。処理が早く、使いやすく、デザインがよく、壊れにくい物を作る。しかし、それが達成されると、ユーザーは満足して新しいPCを買わなくなる。あらゆる電化製品が、あるレベルに達すると、それ以上に性能をアップすることが販売に結びつかなくなる。自然に壊れるのを待つしかなくなる。長持ちする商品を開発すると、それだけ商品が売れなくなるジレンマか。

 最近の電化製品はあまりにも壊れやすい気がするのは邪推だろうか。日本の技術力を持ってすれば、何十年の使用に耐える製品を作ることなどたやすいと思うのだが。パソコンの平均寿命は現在せいぜい3年だそうであまりにもひどい。うちのPCはそろそろ9年目、あとどれくらいもってくれるだろうか。

 9月24日

 馬鹿な奴はすぐに、リネに何の意味があるのとか、何のためにやっているのとか聞いてくる。だけど、やりたいと思ったことにそんなキチンとした理屈なんか無い、リネが何かの役に立つからやりたいわけじゃない。

 9月16日

 年金の着服が問題になっている。ニュースを見てみると「金が欲しかった」という動機の他に、もう一歩踏み込んだ理由が付いていた。1位は借金に困って、二位が遊ぶ金ほしさに、3位が女性との遊行費だそうだ。でも、冷静に考えてみると、金というものは、買えるものであれば何とでも交換できる。借金を返すための金も、遊ぶための金も、女性に貢ぐための金も、同じものである。誤魔化されてはいけない。

 政治家もこれと同じことを言う。消費税率を上げます、あげた分は福祉に使います。減税を解除します、その分は年金に回します。と語る。しかし金にはそのような限定的なものに使うという機能は無いのである。借金はあっても遊んでいたかもしれない。食うのに困っていても女性に貢いだかもしれない。教育や福祉に回す金は、防衛費や公共事業を削減して回せたかもしれない。その場合は、増税分は防衛費のためということになるのだ。

 「金が欲しかった」と答えると、どうして欲しかったんだと聞かれる。「増税をします」というと、どうして増税なんかするんだと質される。だから仕方なく言い訳を用意する。泥棒も政治家も「いえ、色々やりくりしているですが、どうしても赤字になるものですから」と正直に答えるのがよろしい。

 9月12日

 決断力、責任力。

 TOPに立つということには、決断力と責任力が求められる。リネの中のたかだかひとつのクランのプリにでさえ、そんな場面が幾度と無くあるのだから、一国の総理とでもなれば、それは並外れたものではないだろう。

 ひとりの人間に、一国を背負う責任と決断を求めるのも酷な話ではあるが、しかし結局は、みずから望んで総理大臣になったのだ、総理が簡単に務まるだなんて誰も言ったことがない。

 できることなら、もっと早くすっぱり辞める決断をしてほしかったし、続ける決断をしたのなら最後までやりぬく責任を果たしてほしかった。

 9月11日

 9・11。

 アメリカ同時多発テロから6年、いまだテロとの戦いは続いている。日本では、インド洋上の海上自衛隊の給油活動「テロ特措法」の延長問題が巻き起こっているが、もっと根本的な解決の方法を考えていくべきなのではないか。

 テロリズムに力で対抗するのでは、暴力に暴力で対抗しているのとなんら変わりは無い。それよりも、テロの原因である、不当な差別や貧困をなくすことに取り組んでいくべきではないのかと思う。今までテロとの戦いに使ったお金をすべてこれらの問題につぎ込んでいれば、とどうしても考えてしまうのだが。聖書にもあるではないか、「右の頬を叩かれたら、左の頬を差し出せ」と。

 生まれた場所、人種や信仰する宗教が違うだけじゃないか。互いのことをもっと理解し、尊重し、助け合っていければと思う。

 9月10日

 理想の仕事。

 自分の好きな仕事をしたい。趣味を楽しんで仕事にしたい。やりがいのある仕事をしたい。と考えて仕事を選んでいる人が増えてきた。昔からこのように考える人はいたかもしれないが、昔はそのような選択の余地は無かった。仕事とは、衣・食・住を確保するためにとりあえず行う行為であって、楽しむためのものではなかった。今の人は、仕事に対して何らかの憧れをもつようになったといえる。

 理想の仕事に就けない、ということは当たり前のことである。たいていの人が何らかの不満を持っているだろう。しかし、理想の仕事に就けた場合でも問題はある。自分の望む理想の仕事に就けてしまったがために、仕事にはまってしまう危険性がある。彼らは一見幸せそうに見える。彼ら自身も幸せそうにし、ますます仕事に打ち込む。しかし、傍から見ると安い賃金で重労働を強いられているように見える。そして数年もするとやっぱり、仕事に疲れてしまい別の職場へうつる人が多い。そのため新しい人がどんどんこの理想の仕事に供給され、それで回っている。経営者としは好都合ではあるが、本当にそれでいいのだろうか。

 プログラマ、システムエンジニア、アニメーター、お笑い芸人、俳優、AD、介護医療、料理人などなど。仕事ができるようになるまではろくな月給などでない。でないのに休みもなく働かされる。そうやって仕事を覚えるのだ、といわれて騙されているようにも見える。仕事とは労働であり、労働であるからには、それに見合った賃金と待遇を得る権利がある。

 9月9日

 やってみせ、言って聞かせて、
 やらせて見せ、褒めてやらねば、
 人は動かじ。

 (山本五十六の言葉)

 とても深い言葉です。皆さんはどれが一番大事だと思いますか。私は「やってみせ」だと思うのですが。口では色々言うけれど、自分ではなにも実践しない人間にはなりたくないものです。

 逆に、私に足りないのは「褒めてやらねば」でしょうか、思わず悪態をついてしまう天邪鬼な自分に反省。

 9月6日

 温かい無関心。

 干渉して欲しくは無いが、ひとりとか孤立とかは困る。
 干渉して欲しくは無いが、関心は持っていてもらいたい。
 無視されるのはオコトワリ、仲間はずれなんて絶対にイヤ。
 干渉して欲しくは無いが、仲間と思っていほしい。
 欲しいのは、「温かい無関心」

 他人にこのような関係を望んでいる人が多いようだ。ひとりでは不安だからみんなと一緒にいるけど、ひとりのときと同じようにしていたい、ということである。確かに、他人との関係としてはこれほど楽なものはない。しかし、友人や恋人、身内や親しい間柄であってもこのような関係を望んでいる人がいる。あまりにも虫がいいのではないか。

 本当にそれが親しい関係だろうかと、私は疑問に思う。本当にその人のことを想い、尊敬していればこそ言わずにいられないこともあるのではないか。ときどき私が誰かに冷たくきつくいうことがあるのは、それがその人を本当に尊重することだと思っているからである。全然関係の無いアカの他人だったら、それこそなにも言わないだろう。

 なにも言わないけれど想っている。なにも言わないけれど見守っている。なんて都合のいいことは私にはできそうも無い。

 9月3日

 不思議の不思議。

 古来、人類の人類たる所以であるもっとも敏感だった感覚、不思議なことを発見しそれを不思議だと思う感覚は、現代生活では無用となった。誰もが日常生活の中で不思議を体験し、不思議の中で生きている。しかし、それをいちいち不思議だと驚いている暇は無い。そればかりか、現代社会はその感覚を完全に麻痺させようとしている。

 身の回りは不思議なことに満ち溢れ、それらをすべて鵜呑みにしない限り生きてはいけない。生まれたときからそんな環境の中にいるのである。例え不思議に思ったとしても、すべての仕組みは分解するには小さすぎ、理解するには複雑すぎる。皆、電卓の使い方は知っているが、その仕組みを理解して一から作れる人などいないだろう。

 だから、今の子供たちには、現実と仮想の区別などつけようがない。どんな不思議な現象でも電子的に再現できると皆信じている。我々の世代は、生まれたときからブラウン管の中に実世界の不思議の大半が存在しているのである。

 しかし、いったい現代人は本当に何を不思議に思うのだろうか。