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 2月23日

 そういえばさ、ナントカ還元水って結局いくらだったの?
 そういえばさ、賞味期限切れ食品を食べて、お腹を壊した人いたんだっけ?
 そういえばさ、俺たち美しい国日本をめざしているんだよね?
 そういえばさ、ライブドアに、ドラエモンとよく似た人いたよね。
 そういえばさ、結局モンゴルで温泉治療したのが一番効いたんだよね。
 そういえばさ、コムスンもNOVAもやっぱり事業は続けてるんだよね?
 そういえばさ、郵政民営化に反対した人、まだいるんだ。
 そういえばさ、お酒をのんでよく覚えていません、といえば罪は軽くなるんだっけ?
 そういえばさ、ネットで株を買って大儲けって話はどうなったの?
 そういえばさ、耐震偽装は結局あの人だけの問題だったの?
 そういえばさ、今年は万博だっけ、オリンピックだっけ、ワールドカップだっけ。

 2月19日

 4分33秒。

 ジョン・ケージ作曲『4′33″』。ピアニストがピアノの前に4分33秒間座り続けるだけの曲である。ジョン・ケージは言う「その静寂の4分33秒間に、聴衆が聞き取った音すべてが音楽だ」と。

 この曲ほど聞き手によって、とらえかたの変わる音楽も無いだろう。会場にいる聴衆の息遣いを聞く人もいるだろうし、真の静寂を感じる人もいるだろう。またあるひとは、子どもの頃に聞いた子守唄を思い出すかもしれないし、神の声が聞こえたと言う人だっているかもしれない。

 どんな五線紙も、最初は真っ白だったはずだ。そこにひとつづつ音をおいていき曲が生まれるとするならば、すべてはここから始った。どんな曲にだってなりうる。あとは自分自身のイメージだけだ。

 どんな楽器でも、どんな人でも演奏することができる。興味のある人は挑戦してみてはいかがだろうか。すべての音を消して、ただ静寂に耳をかたむける。そこに聞こえてきた音が曲が『4′33″』である。

 2月14日

 KY。

 誰も自分をわかってくれない。もっと空気読めよ。なんていう奴に限って、まったく自分を語っていなかったりする。自分で勝手に人に背を向けておきながら、空気を感じろよなんていうのは、子どものワガママと一緒。自分はここにいて、こんなことを考え、こんなことを思っていると、言葉にしない限り、誰も振り向いてはくれない。

 家族なら普段の生活から察してくれるはず、先生ならそのぐらい見分けられなければならない、友達ならわかってくれてもいいじゃないか。なんでもかんでも他人の所為にして、KYの一言で片付ける。少しでも自分をわかってもらう努力をしたのかと、問いたい。

 自分の意思を伝えたいなら、言葉にして伝えないと伝わらない。不満や欲求があれば正直に語り、悩みは打ち明けなければ、理解なんかされるわけが無い。胸の内を正直に語るのは、難しいし、恥ずかしくもある。でも、語る努力すらしないで、雰囲気から察しろ、KY、だなんてあまりに身勝手すぎる。

 お前K(空気)Y(読めよ)なんてつかわれたら、逆に、お前こそK(空気)Y(読ませろ)と言い返せばよい。だから私はときに、わざとK(空気)Y(読まない)。

 

 2月11日

 チームプレイ。

 「チームプレイの勝利です」とか「チーム一丸となってがんばった結果」とか、団体スポーツではよく言われるけれど、ここで言うチームプレイというのはそんなに発揮するのが難しいのだろうか?ワールドカップとかオリンピックとかになると、国を代表するチームが結成される。個々の能力の高い選手をいろんなチームから集めて来るわけだ。やっぱり個人技なのか?そんなチームプレイなんて少し練習すれば身に付くのでは?と思えてしまう。

 二人三脚世界チャンピオンのペアが、短距離走世界一位、二位のペアよりも早いのは、ふたりで走るという練習をより多く行っているからであって、陸上短距離走のペアが十分な練習を積めば、潜在能力の高いこちらのペアが強くなっていくであろう。これがチームプレイか?

 団体行動が取れるとか、他人と協調できるとか、息を合わせるとか、いうのは、あたり前の前提であって、チームプレイとはちょっと違うと思う。チームプレイとはチームのために自分を犠牲にする行為の事。ホームランを狙わずにバントをするような場合である。チームプレイというのは裏方の仕事なのだ。自己犠牲で奉仕する、そういうプレイのことである。One for all.All for one.(一人はみんなのために、みんなは一人のために)この精神がチームプレイである。

 自分のためになにかをしてくれるから仲間なんじゃない。そいつのためになにかできるから仲間なんだ。

 

 2月7日

 アンケート。

 「市民の皆様の声をインターネットで幅広く取り入れ、市政に活かしてまいります」とか、「無作為に選んだ電話番号によるアンケートの結果」とか、「メールで寄せられましたご意見をもとに・・・」などというアンケートには罠が潜んでいる。

 インターネットで取ったアンケートは、もともとインターネットをする人というカテゴリーに分類される人の答えしか取りようが無いわけである。極端にいえば、インターネットで「あなたはインターネットを利用しますか?」なんていうアンケートをとれば、100%イエスの答えが返ってくるだろう。しかしこんなアンケートに意味が無いことは自明である。

 アンケートというものは、正しく取らないと意味のある結果は見えてこない。正しく読み取らないと本当の意見は聞こえてこない。

 韓国では、デスペナルティの軽減が検討されているそうだが、本当に正しいアンケートを取ったのか疑問に思う。さすがに攻城戦のペナルティなしはやりすぎだと思う。「死んだから経験値をもどせっ」という苦情をメールで送る人はいるだろうが、「死んで経験が減るのは当然」という意見をいちいち送る人はいないだろう。そこだけ見て多数の意見だと勘違いしているのではないか。

 一部のクレーマーの意見だけしか見えないと全体の意見が見えてこない。一般に大多数を占める良識ある人というのは、良識があるがゆえに沈黙を愛するからである。

 2月6日

 波。

 ランダムに起きる事柄には、波がある。必ず確率の偏りが生じる。例えばコイントスをしたとする。もしも偏りがないとすると、表 裏 表 裏 表 裏 表 裏 表 裏と順番に出続けることになってしまう。確かにこれでも確率は1/2づつで表裏が出ているわけだが、ランダムではないのは一目瞭然である。

 ランダムに確率1/2で起こる事柄というのは、長い目で見れば、表も裏も同じぐらい出るけれど、表がでやすい波もあれば、裏がでやすい波もあるということである。

 さてここまで読んで、「じゃあその波にのればいいじゃんっ!」と勘違いしないように。確かに波はある。しかしその波は、すでに起こった事柄に対してしか有効ではない。今までに起こった事柄を見て、最近は表がよく出でているから表の波だと思っても、まだ起こっていない事柄に対してはこの論理は通用しないのだ。次に表がでるか裏がでるかはやっぱり1/2である。

 OEが二回続けて失敗したから、そろそろ成功するだろうと思ってOEをする。これを私は「そろそろの論理」と勝手によんでいる。成功すればあぁやっぱりと思い、失敗すると次こそはと思ってもう一回やる、そこで成功すればあぁやっぱりと思う、失敗すればもう一回・・・。と、あぁやっぱりと思うまで続けるわけである。そりゃいつかは、成功するはずである。

 何かが起こると思って、何も起きないと取り越し苦労とおもい、何かが起こると虫の知らせと思ってしまうのが、人の性である。

 2月3日

 大雪。

 関東では、今期初めての積雪があった。久しぶりの雪らしい雪である。雪を見るとわくわくしてくる。今年はスキーにいっていないのでなおさらかもしれない。雪合戦でもしたい気分だ、はしゃぎたいお年頃である。

 このところ少しづつではあるが、東京の雪が綺麗になっているように感じる。初めてこちらに来た時は、真っ黒くなった雪にびっくりしたものだが、道路や空気が少しづつ綺麗になっているのかもしれない。真っ黒い皮膜の張り付いた雪では気分が盛り上がらない。やはり雪は、サラサラで真っ白くなくては。

 中国の食品問題、環境問題が声高に叫ばれているが、東京オリンピックの頃の日本と比べてみたらどうであろうか。約40年前、高度経済成長が始まったが、その裏で公害問題、排気ガス問題、薬害その他もろもろの事件が起きた時代でもあった。人は豊になってはじめて周りを見る余裕が生まれる。日本は中国を非難するだけでなく、同じ過ちを繰り返させないよう、手を貸していくべきではないのかと思う。

 東京の雪をいきなり真っ白に変えることは難しい、少しづつ変えていくしかないのだ。

 2月1日

 サラリ派?ドロリ派?

 カレー界には、さらさらタイプとドロリタイプの二大派閥がある。サラリが極まるとスープカレーになり、ドロリが極まるとキーマカレーやドライカレーということになるだろう。しかしそういう名前のついているものをのぞくと、普通に目にするカレーがどんどんサラリタイプになっている。今、ドロリタイプは絶滅の危機である。

 ご飯にかけると、スーッとカレーが染み込んでいって皿の底に溜まる。一昔前だったら、びちょカレーと笑われていた、あのカレーである。カレー専門店などにいくとほとんどがこのタイプのカレーである。カレーの液状化現象とでもいおうか。しかも、サラサラ系は海老なんかが中に泳いでいたりして高級で、ドロリ系はごろごろじゃがいもなんかがはいっていて安っぽいという、「サラ高どろ安」の思想も広まっている。

 今こそ、ドロリ派は立ち上がらなければならない!アーモンドやレーズンの載った小生意気なカレーに鉄槌を!黄色いサフランライスなど言語道断!カレーにはとろみを!カレーにはじゃがいもを!ニンジンはいらない!海老なんてゴミ箱ぽいだ!

 と、なんだか取り乱してしまったが・・・。ご飯とドロリとしたカレーがお皿の真ん中でせめぎ合い、触れ合ってはいるが混じっていないものを、スプーンでゆっくり混ぜ合わせ、こね合わせしながら食べるカレーが、私は好きだ。サラサラタイプはそれができない、そこが残念である。