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5月30日 インターネットの普及により、手軽にかつ広範囲に対して自分の意見を言えるようになった。以前では、新聞の投書欄に意見を送るぐらいしか方法が無かったものが、今では掲示板やチャットフォーラム、ブログなどで簡単に自らの意見を述べることができる。これは素晴らしいことだと思う。 しかし、今このネットの力が曲った方向に使われている。どんな意見でも言ったもん勝ちの風潮が蔓延している。情報の客観性、信頼性は失われ、より迅速に、効果的に、言いたいことを言い、それをどれだけ広く目にとめてもらったか、今や正否の判断基準はそれしかない。宣伝こそが、善悪を決め、正義を決め、真と偽ととを決めているのだ。 事実に対する解釈は、関わる人間の数だけある、ということを忘れてはいけない。だから絶対に正しい意見なんてものはない。みんな自分が見ている側が正しいと思っているだけだ。所詮人間なんて見たいものしか見ないし、信じたいものしか信じないのだ。 5月16日 一人の死は悲劇だが、十万の死は統計量にしか過ぎなくなる。 情報通信技術の発達により、世界各地からニュースが瞬時に配信されるようになった。これはこれで喜ばしいことなのだろう。しかし、その分ニュースの多様性は失われたように感じる。世界では毎日色々な事件が起こり、様々な問題が噴出しているはずだ。しかし、それらすべて伝えきることはできない。そうなると結局話題性の高いニュースのみが配信されることになる。より興味をそそり、よりドラマチックなものだけ。まるで他に事件など起こっていないかのように。 毎日世界中で二万五千人もの人が飢餓で亡くなっているという事実はほとんど知られていないが、四川省大地震で救援物資が足りないという話は連日報道され皆が知っている。一匹の「崖っぷち犬」を助けるために何十人もの人が動き、何百通もの里親の申し出がとどいた影で、保健所では毎日何百頭もの犬が処理されているという事実もある。 別に、救援物資を送るなとか、そういうことをいっているわけではない。できることであればなんでもしたほうが良いとは思う。だが、一人の人間ができることなどたかが知れている、どだい全てに手を差し伸べることなど不可能なのだ。ならばこそ、偏った報道だけに頼ることなく、もっともっといろんなアンテナを広げる必要があると、そう私は思うのだ。 外国で飛行機が墜ちました ニュースキャスターは嬉しそうに 「乗客に日本人はいませんでした」 「いませんでした」 「いませんでした」 僕は何を思えばいいんだろう 僕はなんて言えばいいんだろう ( 『JAM』 The Yellow Monkeyより ) 5月13日 引き続きカンニング。 色々なカンニングの方法を考えてみた。考えてみただけなので、モニターの前の良い子は絶対にまねをしないように。(なんて書いてある場合は、たいてい真似しようとしても真似できないことである。) まずカンニングには二つのパターンがある。一つ目は何らかの資料(教科書、辞書など)を隠して持ち込み、それを参照する場合。二つ目は試験中に他人の力を借りて問題を解く場合である。前者の代表的な例がカンニングペーパーであり、後者の代表的な例が隣の解答用紙を盗み見る方法である。 まずは、理想的なカンニングペーパーを考えてみる。カンペで問題となるのは、やはりその大きさである。小さければ見つかり難いがその分情報量は減ってしまう。しかし大きすぎると発見されるリスクは高まる。大きくてかつ見つかり難いものにしなければならない。想像してみよう。(あくまでも想像)試験中机の上に出せるものは、筆記用具、消しゴム、メガネ、計算機能の付いていない時計。普通はこの四つである。そこから思い浮かぶのは、鉛筆の側面にずらっと公式を書く。消しゴムの包み紙の裏に書く。コナンや007が使っているようなレンズの部分がモニターになっているメガネを装着する。一見しただけではふつうのデジタル時計だが実は特殊機能がついている時計を用意する。などであるが、前二つは小さすぎて情報量に欠けるし、後ろ二つは非現実的か。それから、あえて最初に書かなかったのだが、この四つより大きいものが実はある。机そのものである。しかし机の表面に書くなんて古来から使い古されていて味気ないので不採用。それに、席を指定されたり、監督官が先に入室していたりしてはつかえないという弱点もある。 この弱点を補うもっと良いものが机の上に出ているはずである。問題冊子と解答用紙である。これとそっくりなカンニングペーパーを作れば良いのである。例えば(しつこいようだがあくまで例えば)センター試験の場合、問題冊子はA4両開きで白の上質紙、フォントサイズは3ぐらいである。これとそっくりなカンニングペーパーを用意し、試験が始まったら問題冊子に挟み込んでしまえばよい。マジシャンが良く使う方法である。隠したいものこそどうどうとお客の目の前にだすのである。あたりまえにそこにあるからこそ盲点になるのだ。いかがだろうか。 次に他力カンニングの方法を考えてみる。前や左右の解答用紙を盗み見るというのは、確実性にかけるうえ解答から発覚する場合がある。実際にあったところでは、σ(シグマ)と書くべきところに数字の6が書いてあったり。H2OがH20になっていたりした。この場合たとえ他がすべて完璧であったとしても(他が完璧であるがゆえに)これだけで落第点となる。写し間違い以外にこんな間違い犯しようが無いからである。 では誰に力を借りればよいか。双子の頭のいい兄弟がいるなら(タッチの達也の変わりに和也のような)替え玉が可能であろう。同じようなところでは、頭のいい友人に同じテストを受けてもらい名前だけ入れ替える(もしくは、解答用紙を交換する)なども考えられる。その昔、センター試験で娘の変わりに女装した父親が試験を受けるという珍事があったが、さすがにこれはばれた。替え玉をする場合は、容姿や筆跡にも気をつけよう。(誰に対する注意だ?) 外部に優秀な頭脳をそろえるという方法もある。袖のあたりに小型CCDカメラを装着し、腰につけた発信機から外部に試験問題の映像を送る。それを外部で受信して問題を解き、補聴器に偽装したイヤホンを通じて試験者に解答を教える。なんてことが今の技術力なら10万円ぐらいでできそうな気もする。 最後にもう一度だけ言うが、良い子は絶対に真似をしないように。 5月11日 やっぱりカンニング。 英語でカンニング(cunning)というと『ずる賢い』という意味で、いわゆる日本語のカンニングの意味にはならない。日本語のカンニングに近いのは、リネでもよく使う言葉のcheat(チート)である。逆に日本語のチートは、ずるいのニュアンスに近い。 大学時代はよくこのずる賢いカンニングをした。一番効果があったのは、前年度の同じ講義同じ教官の試験問題を手に入れる方法だった。毎年毎年同じ講義を受け持っている教授は、試験問題もほとんど同じであることが多い。それさえ手に入れれば楽勝である。たとえ問題が違っていても傾向はほぼいっしょなので試験で落とすことはない。同じ課程の一個上の先輩とは仲良くするべきである。 それから、試験前に教授に会いに行くのも効果的である。試験に失敗してから泣き落としにいく人が結構いるが、試験をする前に行くほうがよっぽど効果的である。単刀直入に「どんな問題が出ますか?」と聞くだけでよい。ほとんどの場合これで教えてもらえる。大学教授ぐらい試験に対して疑問を持っている人種はいない。どうしても成績をつけなければならないので、手っ取り早く試験をしているだけなのである。だからガードがすごく甘い、積極的に聞きに来たということだけでポイントアップなのだ。 逆に、ほとんど効果のないものもある。『おいしいカレーの作り方』である。何故か試験前になるとこの噂が立ち上るのだが。わからない問題に対して全然関係のないことでも一生懸命書けば、それで点がもらえるという噂である。レポートにおいしいカレーの作り方を書いたら満点だったというアレである。他にも、「奥様と一緒にどこどこを歩いていらっしゃるのを見かけました」なんて書いて動揺を誘ってみたり、「どうしてもこの単位は落とせないんですお願いします」などと同情を誘ってみたりするパターンがある。しかし、こんなもので部分点がもらえることは無い。逆に心証が悪くなるだけなのでやめよう。唯一効果があるとすれば、問題としては出されなかったが、その講義で学んだ他のことを書く方法である。ちゃんとしたものが書ければこれで通ることはある。本当に最終手段ではあるが。 こんな感じでいつも試験を受けていたので、ちゃんとしたカンニング(ちゃんとしたというのもなんかおかしいが)をしたことは、大学時代には無かった。 5月8日 またまたカンニング。 私のカンニングの経験を少しだけ書いておこう。「少しだけ・・・」ではじまる文章のほとんどがそうであるように少しだけ長くなるのだが。逆に、「話すと長くなる・・・」で始まる会話は二言三言で終ることが多い。同じようなところでは、「言いたくないけど・・・」といっておいて、言いたい放題言う人がいるし、「自慢じゃないけど・・・」といった話は確実に自慢話である。「俺の知り合いが・・・」ではじまる話の50%は実は自分の失敗談だし、「怒ってないから話してごらん」と言った場合すでに怒っている人が多い。「正直にいうと・・・」なんて言う人はいつもは正直じゃないのか、なんて思ったり。といったように、日本語の導入の言葉というのは大抵反対の意味だと捉えておけば、間違いないだろう。 で、カンニングの話である。カンニングペーパーを自作したことがある人なら経験したことがあるだろうが、役に立つカンニングペーパーを作るというのは大変難しい。だいたい手のひらに隠せるサイズの紙に書ける情報量などは、たかがしれているので、試験に出そうなところを選んで書き込まなければならないのだが、ヤマを張るというのは難しい作業なのだ。試験範囲を充分に理解していると、どこが重要でどこが重要でないのかは一目瞭然なのだが、充分に理解しているならそもそもカンニングペーパーは必要ない。さらには、カンニングペーパーに書き込んでいるうちにその内容を覚えてしまうというある意味健全な事象も起きてくる。結局カンニングペーパーが役に立つということはほとんどない。経験上役に立ったのは、漢字の書き取りぐらいである。 中学時代、国語の時間の最初に必ず漢字の書き取り小テストがあって、不正解するとその漢字を20回づつ裏に書かいて提出しなければならなかった。それが面倒で面倒であるときカンニングをすればいいと考えた。しかしそのためにカンニングペーパーを作るというのも面倒である。そこでさらに考えた。そしてたどり着いたのが、漢字ドリルの答えのページを綺麗に破ってそれをそのまま教室の横にある掲示板に貼り付けておく方法だった。教室の掲示板には雑多なものが色々貼り付けられているので盲点になる。木の葉は森に隠せ。これで毎回ほぼ満点。ただし、今でも漢字の書き取りは苦手であるから、これがよかったのかどうかは疑問が残るが。 5月4日 カンニング。 あえて極論を書くとすれば、カンニングの許されない試験は、まず試験としての意味をなしていない。カンニングすればすぐ答えがわかってしまうような問題にこそ問題がある。実社会にでて、特定の時間内に、誰にも頼らず、資料を参考にすることもできず問題を解決しなければならないといった局面に出会うことは稀である。総理大臣だって国会の答弁で官僚の作ったカンニングペーパーを見て答弁しているではないか。そもそも社会に出たら、資料を有効に活用する能力や仲間と上手くコミュニケーションできる能力のほうがよっぽど役に立つ。したがってうがった見かたをすれば、ばれないようにカンニングするのも試験のうちである。それが見つかるリスクと得られる結果を比較して合理的に判断するという試験なのだ。 と、ここまでカンニングをそそのかしておいてからいうが、監督者の立場から見るとカンニングをしようとしている人間というのはすぐにわかる。一度でも試験監督を経験するとそれがわかるだろう。教壇に座ってぼーっと見回しているだけで充分。そうしていると、後ろのほうにちらちらと頭を上げてこちらの様子をうかがっている奴がでてくる。そんなときには窓のほうでも見て天気を気にしているような振りでもしておくと、ばれてないとでも思うのか前の座席の奴にわざわざ隠れて何かやり始める。警察官が不審人物を見つける手法とよく似ている。教科書やカンニングペーパーを探す必要はない。自分を見ている人物、こちらを気にしている人物に目を光らせればよいのだ。試験中に試験ではなく監督者の動向を気にしているというのは、不正を行おうとしているか自分に気があるかのどちらかだ。(後者である事は滅多にないが) したがって、カンニングをする時は絶対に監督者のほうを見てはいけない。もっと仕草に気を付けなければならない。前の奴に隠れて窮屈な姿勢をとるなどもってのほか。あくまで自然に、堂々と机の上にカンニングペーパーを広げ、一心不乱にカンニングをすればよい。 最後に一応付け加えておくが、カンニングはルールを破る行為であり、それが発覚したときには、相応の罰を伴う。 5月2日 案ずるより産むがやすし。 無重力空間でブーメランを投げるとどうなるのか。先月、宇宙飛行士の土井隆雄さんが国際宇宙ステーションの中で行った実験結果の映像が公開された。無重力の中でブーメランがどう飛ぶのか色々論議されたが、結果は見事なカーブを描いて地球上と同じように戻ってきた。数年前に毛利衛さんが宇宙で紙飛行機を飛ばすという実験を行ったときもそうだったが、物理学や航空力学の第一線級の教授や研究者があーでもないこーでもないと考えた結果とは違ったものだった。それぐらい難しい問題なのである。 高校の物理の授業で、初速いくらで高さ何mから水平方向に鉄球を打ち出したら何m先に落下するとか、そんな問題を解いた記憶があるだろう。ご丁寧に空気抵抗は考えないものとするとか、摩擦係数は0にするとかも書いてあったのではなかろうか。何故そんな特殊な状況を想定しなければならないのか疑問に思ったことは無いだろうか。地球上に空気抵抗の無い場所なんてないし、摩擦係数が0の物質も今のところ見つかっていないのに。そんな問題を解いたところで仮定の話しでしかないのだ。実際に実験してみたら計算とは違った場所に落下することは間違いないし、同じ実験を複数回行ったとしても厳密にはそれぞれ別の地点に落下するだろう。 自然法則なんだから条件さえわかれば挙動をシミュレートできるはずだというのは、授業や教科書によって植え付けられた誤った認識である。今の科学力では、目の前に持ち上げた葉っぱ一枚を落下させたときどこに落ちるかということすら、実際にやって見なければわからないのである。 だからといって、こんな問題が出たときに答えは不定、などと本当のことを書かないように。あれらは決められたルールの中でどれだけ正しく行動できるか、ということを問題にしているのだから。 |