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8月28日 自分一人が行動したって何にも変わらないよ、と思っている人全員が行動したら、それはすごく大きな力になるんじゃないかな。 8月26日 神はサイコロを投げるか。(確率的世界観) 『ここに二つの箱があります。どちらか一方の箱にはリンゴがはいっています。あなたはどちらの箱にリンゴが入っているか知りません。だから、あなたがどちらか一方を選んで箱を開けたとき、リンゴが入っているか入っていないかは確率的に50%です。』 こういう話を聞いたとき、『リンゴが入っているか入っていないかは50%です』っていうけど、実際にはどちらの箱にリンゴが入っているかなんていうことは、箱を開ける前から決まっているはずだと考える。選んだ箱にリンゴが入っていれば、それは誰かがそちらの箱にリンゴを入れていたという原因があったからで、その箱にリンゴが入っているか入っていないかなんていうことは、箱をあける以前に決まっていることである。もしその原因を知ることが出来れば、箱を開ける前から確実にリンゴが入っているか入っていないかを知ることができる。つまり確率といっても、たまたまそのとき自分が真の情報をしらないだけであって、実際には確率的な現象など存在してはいないと考える。これが常識的な考えかただ。 ここでもし、「いや、リンゴが入っているか入っていないかは箱を開けて確かめてみるまではわからないんだよ」という人がいるとしたら、「そんな馬鹿な、じゃぁ箱を開けて確かめたときにパッとリンゴが出現するとでも言うのか」と言いたくなるだろう。だが、量子力学はその問に「YES」と答える。どんな現象も、原因があるから結果がきまるのだが、その原因をとことんまで追求していくと、「どうしてリンゴがそこにあるのか」、という原因を知ることはできなくなる、ということを量子力学は証明してしまったのだ。つまり原因を知ることが出来ないのだから、結果は観測してみるまで不確定であるということを証明したのだ。 すべての出来事は物理現象なのだから、今はまだわからないが何かしらの方程式があってすべてはそれに乗っ取ってあらかじめ決められたとおりに起こっているはずだ。「神はサイコロを投げない」と考えていたすべての物理学者は敗北をみることとなった。 結局のところ、すべての物理現象は確率的にしかとらえることができないのだ。その背後に真の原因があるのかもしれないが、それを知ることは絶対にできないのだから、少なくとも人間にとっては確率的世界観こそが真の姿なのである。
人間の運命なんていうものは、結果を観測してみようと努力しないかぎり、定まらないものなんだよ。 8月25日 パブリシティ。 TV番組や新聞などで、報道されることにより発生する広告効果のことをパブリシティという。広告とは違い、企業や団体がメディアにお金を支払うことなく大きな宣伝効果を生むので、注目されはじめた宣伝戦術である。某ハンバーガーチェーンのやらせ行列や、宝石店の無料ダイヤ配布などがそれにあたり、商品にニュース性を持たせることで、マスメディアに勝手に宣伝してもらおうという手法である。 ここ半月ほど芸能人の薬物問題がずっと報道されているが、いつまで続けるつもりなのだろう。くだらない報道をつづけるおかげで、過去に出した歌や本がヒットチャートをにぎわし、所属事務所もレコード会社もすまなそうな顔はしているが、契約解除や販売の差し止めなどは行っていない。 これではそのうち、少し馬鹿な事件を起こして一花咲かせてやろうと考える輩がでてくることは間違いないだろう。マスコミや芸能界が本気で薬物問題に取り組もうとするなら、ぐだぐだ報道しないことも選択肢に入れなければならないのではないか。どうせまたほとぼりが冷めたら戻ってくるんだろう、としか思えない。 錦野旦、研ナオコ、井上陽水、美川憲一、長淵剛、槇原敬之。この人たちの共通項は? 8月24日 一日一善でぜんまい巻き上がる これは贅沢パラダイス (『ぜんまいざむらいのうた』より) 泥棒をしようとしたところ、ねずみに驚いて井戸に落ちて死んでしまった「善之助」は、大福の神によって必笑だんご剣を与えられ、「ぜんまいざむらい」として復活する。頭のぜんまいがほどけきってしまうと死んでしまうが、善いことをするとぜんまいが巻かれてしばらくの猶予を得る。 学校では、都立高校の教科「奉仕」の必修化。国会では、刑罰に社会奉仕の導入を検討。と、奉仕やボランティアの義務化が広がりをみせている。強制的な手法に効果はあるのか議論は様々だが、動機はどうであれ、それが善行で他人に喜ばれる行動であるのなら、やる意味はあるのではないかと思う。しない善よりする偽善、行動すれば変わる心もあるだろう。 子供たちに、善行の素晴らしさを伝えながらも、実は生きるために善行を重ねる「ぜんまいざむらい」。そんな強制労働のごとき善行に意味はあるのか無いのか。「ぜんまいざむらい」とは、そんなことを考えさせる教育番組であった。 8月14日 真夏の陽炎。 日本独自のイベントにしては、なかなかいいバランシング何じゃないかと思っています。適当に走り回るだけのお使いクエストよりはよっぽど歯ごたえがあるかと。しかし、日本独自イベントにしては敵の名称がもうすこしわかりやすければよかったかなぁと。気になったので色々調べてみました。 フレンジーアント(Frenzy Ant) 狂ったアリ 少しはイメージの手助けになったでしょうか。ヘマトフィリアにはちょっとぞっとしてしまいましたが。 それから、メガエフィラとストロピラについて。クラゲは卵からかえるとまず珊瑚や岩などに着生してポリフというイソギンチャクのようなものになる。これが育つとお椀をたくさん重ねた形状のストロピラになる。次に、このお椀が一枚一枚はなれていき、それがエフィラ幼生とよばれる。このエフィラが大きくなっていつも私たちがクラゲと呼んでいるものになるようです。クラゲって卵から小さいクラゲが生まれるんじゃないんですね。 8月12日 ジャメ・ヴュ(未視感) ジャメ・ヴュとはデジャ・ヴュ(既視感)の反対の言葉で、いつも見慣れているものをまるで今初めて見たものの様にとらえてしまう感覚を指す。 自分が今まであたり前のようにとらえていた物や観念あるいは人物が、あるとき突然、全然別のものに感じられてしまうことがある。固定観念は払拭され、複雑に絡み合っていたピースがカチリと音を立てるようにあるべきところに並び、新たな情景を浮かび上がらせる。 初めてではないのに「はじめまして」の感覚。そんなジャメ・ヴュを大事にしたい。そして、いつも新鮮な目で他人と付き合っていきたいものだ。一期一会とはよく言ったものである。 |