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9月30日 無我の境地。 座禅の修行をしている人に、15秒ごとに鈴の音を聞かせ、そのときの脳波を測定する実験をしたところ、最初のうちは、音に反応して脳波が乱れる。しかし実験を続けてしばらくすると、音がしても脳波が乱れなくなる。つまり、鈴の音になれてしまい、脳波が乱れなくなる。ところが、熟練したお坊さんに、同様の実験を行って脳波を測定すると、いつまでたっても鈴の音がするごとに脳波が乱れるという。ものごとをはっきり認識しながらも、それを心にとどめないこと。つまりそれが、「無我の境地」だという。 あらゆることにいえることだが、何でも最初が面白い。リネも、最初は強くなりたいと願う。強くなって初めて味わえる楽しさもある。他人より強くなることで、多少の優越感もあるだろう。しかし、強くなってしまうと、弱かった頃の楽しさが大きく見えてくる。とても羨ましいのだ。楽しむためにプレイしていたはずが、いつのまにか強くなるためにプレイしている。 最初の頃に経験した驚き、楽しみをもう一度経験したい。熟練したお坊さんのように、毎回頭をリセットして楽しめないものか。いまだ無我の境地には至らず。 9月29日 一行日記。 今日は日記を書いた。 9月28日 形容矛盾。 正反対の性質のものを併せて、言葉を強調する技法。「死ぬほど美味い」とか、「小さな巨人」、「黒猫のシロ」みたいなもの。本来ありえない形容をするところに、面白さがある。死ぬほど美味い毒キノコなんて使い方をすると、裏の裏で表に戻ってしまうが・・・。 「やわらか戦車」と言われて、斬鉄剣で切れないこんにゃくの戦車を想像してしまうと(私だけか)、形容矛盾にならない。「デビルマン」とか「人造人間ハカイダー」なんかも、悪者なのにヒーローである(そうだ、よくはしらない)。「ケロロ小隊」も侵略者なのにどちらかというとペコポンの味方。アニメの世界では良くある手法か。探せばまだまだありそう。 リネにもそのうち「ダイアモンドスライム」とか「エアーモール」なんて敵が登場するかもしれませんね。 9月25日 娘:「池と沼の違いってなに?」 父:「河童が居るかどうか」 (DoCoMoのCM『池と沼の違い』より) 似たような問いで、「普通の沼」と「底なし沼」の違いがわかるだろうか。底があるかないかではない。底のない沼なんてものは存在しない。つまりは想像力の違いなのだ。人間の想像力が底なし沼を生む。人間が観察していなければ普通の沼にも底なし沼にも違いはない。 池にも沼にも河童なんて居るわけがない。でも、そこに河童を夢見る気持ちが、池と沼の違いを生むとしたら、なんだか素敵な話である。こういうセンスを持ちたいものだ。 ところで、河童は池と沼のどちらに居るんだろう? 9月24日 最も難しいことは、いくつになっても、どんな自分になっても、すべてのことに対して、素直で居つづけることではないだろうか。 どうしたらそれができるだろう。 |