MENU_TOP.JPG

 1月31日

 なぜアデナは販売されないのか。

 バランスを崩しやすいという面もあるだろう。だが実際には、ゲーム内通貨やレアアイテムは現金で取引されている動かしがたい現実がある。ならばゲーム会社自身がこれらを販売してしまえば、規約違反のRMTを犯そうという人は減るだろうし、RMT市場という大きなパイを自社に取り込める可能性が高い。

 だが、もしこれをしてしまうと、ゲーム内通貨に一定の現実的価値があることをゲーム会社みずからが認めてしまう結果となる。例えばアデナに換金性があったとしよう。そうすると、ゲーム内で行われているバグベアレースやOE等、あらゆる行動が賭博行為として法律で取り締まられる可能性すら出てくるのだ。

 だから、ゲーム会社はいつでもいいのがれができるように、販売方式を工夫して直接販売しないようにしているのだ。ガチャガチャという行為に対しての課金。本のおまけとしてのアイテム。一定期間しか使えない、他人に譲ることができないなどの縛り。こうすることで、ゲーム内通貨やレアアイテム自体ではなく、それを使うことのできる権利というサービスを販売している形を取っているのだ。

 1月30日

 刑法第223条(強要罪)
 
 生命、身体、自由、名誉若しくは財産に対し害を加える旨を告知して脅迫し、又は暴行を用いて、人に義務のないことを行わせ、又は権利の行使を妨害した者は、3年以下の懲役に処する。


 「PKを手段としての強要行為に対する処分」の期間延長が発表された。が、そもそも利用規約で取り締まる以前に、強要行為は刑法犯罪である。害を加えることを告知して(PKするぞ)、人に義務のないこと(アデナを払え、自殺しろ等)を行わせたのならば、強要罪が成立するはずである。なぜ法律ではなく利用規約で取り締まろうとするのだろうか。

 リネージュだけに関わらず、全てのオンラインゲームで、そのデータはゲーム会社のサーバー上にあり、顧客はゲームサービスの利用権、あるいは、データの限定的な利用権を購入しているだけであって、データ自体の所有権はゲーム会社にあるということにしている。つまりゲーム会社はデータは顧客の財産ではないという立場を取っているのだ。

 顧客の財産ではないのだから、そのデータに害を加えることを告知しても、強要罪が成立することは難しいと考えられる。

 ゲーム上のアイテムを盗んだという事件がときどき新聞に出るけれども、これらも不正アクセス禁止法違反や詐欺罪による精神的苦痛の代価としての賠償命令が出ているだけで、ゲームアイテムに法律上の財産価値があるという判例はいまのところひとつもない。

 1月29日

 そうさ 僕らは 世界に一つだけの花
 一人一人違う種を持つ
 その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい
 (槇原敬之『世界に一つだけの花』より)

 SMAPのために書き下ろされたこの曲は、発表されるや大人から子供まで全ての世代で歌われる日本の代表的歌謡曲となった。そして、たぶんこれからもずっと歌い続けて、歌い継がれていく曲になるだろう。

 だからこそ思うのだ、「No.1にならなくてもいい、もともと特別なOnly one」という有名な歌詞を自分に都合よくいいわけに使っていないだろうか、と。

 歌詞をよく読んでみれば分かるが、No.1になってはいけないとは歌っていないし、もちろん、
No.1になることから逃げろなどとも言ってはいない。一人一人違うんだからその中で精一杯のことをしなさいと歌っているだけなのに、別に自分は自分だからといってオンリーワンになる努力すらからも逃げ出す口実にしている人がいるように感じる。特に、他人に向けて気安くこんな台詞を吐いて、なんか格好いいこといった気分になっている無責任な奴に多い気がする。

 この曲は自己肯定、自己応援ソングであって、自己満足ソングではない。

 1月28日

 はじめの一歩。

 最後に缶蹴りをしたのはいつだろう。最後にアイツに会ったのはいつだっただろう。最後に泣いたのは・・・。大抵の出来事は、そのときにははっきりとこれが最後だなんていう認識はなくて、数年してから、あぁあれが最後だったなと思い出して、さらに数年もすると、それすらも忘れて、いつの間にか最後になっているものだ。

 そう思ったら、毎日何か自分の中からどんどんいろいろなものが零れ落ちていっている様な気がして、凄く焦った。

 いつもと違う初めての道を行き、いつもと違う初めてのスーパーに寄って、いつもと違う食材を買った。何でもいいから初めてのことを始めてみようと思ったんだ。

 ヒラメのクリーム煮はうまかったけど、生クリームが余ったな、さてどうしようか。

 1月27日

 王様の耳はロバの耳!

 結局のところ、ここに書き散らしていることっていうのは、実際には面と向かって言うことのできないことなんだろうな。そういったモヤモヤが溜まりに溜まってもう限界ってなったときに、たまたま吐き出せる場所があったというだけのこと。
 だから、批判や愚痴ならスラスラと出てくるし書くことに困ることも少ない。

 これが自分のこととなると、これはもうどこに書こうが自分で自分に面と向かって吐きつける言葉だから筆が重くなる。どこか着飾ってなにか強がるからあいまいにもなる。なんだかんだ格好つけてるだけで卑怯なんだよ。でもそうするより他に方法が分からないんだ。
  
 だから、今夜もネットの片隅で叫んでいる。そうすることで、少しだけだけど気が楽になる。

 1月24日

 駆け込み退職

 退職金の減額前に年度途中で「駆け込み退職」する教員が無責任だと問題になっているが、そもそも払うと約束していた賃金を年度途中で下げる制度の方に問題があるのであって、それを教員の側の責任にすると言うのは論点が間違っていると思う。教師だから我慢しなければならない、そういう職業だというのは、教師という職業を逆に馬鹿にしていると思う。

 例えば、あなたが時給1000円のバイトをしていたとする、ところがバイト時間の終わりごろになって急にやっぱり時給は800円でお願いします。と、言われたらどうだろうか。そこで辞めるか辞めないかは個人個人だろうが、誰もが納得はいかないのではないか。

 そもそも公務員には給料交渉をする労使権が認められていない。一方的に決められた条件で働いているのだ。その条件が自分に合わなくなったら辞めるのが当たり前ではないか。その権利は憲法で保障されている。

 辞めて欲しくないのであれば、それ相応の報酬を出す方が筋であろう。特に教職というような、国家の根幹にかかわるような大事な職業であればなおさらだ。今回駆け込み退職をしなければならなかった人にはそれぞれに事情があるのだろう。無責任だと非難されるべきなのは、この制度を設計した国や地方自治体の方であるべきだ。

 こんな制度のせいで、恩師との最後の学校生活を送れなくなった子供たちが一番かわいそうだ。そして、そんな子供たちのために、減額を甘んじて受け入れて残ってくれた教師たちにこそ、よりよい手当てをつけるべきだと思う。

 1月23日

 鳴かぬなら・・・。

 鳴かないホトトギスをどうするのかで信長と秀吉、家康の性格を表す有名な川柳がありますが、あなたはどのタイプですかと聞かれて、鳴くまで待とうと答えたものの、どれも自分の性分ではない気がするので、自分の性格をこの川柳で表すとどうなるか考えてみた。

 鳴かぬなら ホトぬギスになる ホトトギス 

 たぶん一休さんタイプだと思われる。

 1月22日

 スーパーでカゴいっぱいに買い物をする。レジで清算をするときには、買い物カゴから清算カゴへ、商品のバーコードを読ませながら移していくわけだが、このとき必要以上に綺麗に詰め替え作業をすることに疑問を感じている。たぶん店の指導なのだろうが、これって本当にお客様のための行動なだろうか。

 一つ打ち込んではカゴの中にきれいに並べ、次のを打ってはさっきの物をどけてその下に入
れたり、配置を換えてみたりしている。この時間がいつも気になる。卵が割れるとか、イチゴがつぶれるとかなら分かるが、肉でも野菜でもそこまで気にする必要のないものまで、重い物を下にとか、綺麗な配置にとか、いちいち入れ替えたりしている。そして仕上げにお惣菜やスナック菓子なんかを上に載せて、完成。綺麗に入ったわ、オホホなんて満足気な顔をしている。

 だいたい、このカゴの中の商品は、次にレジ裏のテーブルの上でお客が買い物袋に詰め替えなければならないのだ。その
とき一番上に惣菜やスナック菓子が載っているので まずそれをいちいちとりだしてから、一番下にあるペットボトルなんかを取り出さなければならない。テーブルまで移す間のわずかな時間のために、レジで余計に待たされたうえに、詰め替え作業でも余計な手間をかけさせられる。これってほんとにお客様のための指導なのだろうか。

 雑に入れることに対する苦情はいいやすいが、綺麗に詰めることに対する苦情はいいにくいからなのだろう。100人中99人が別に適当に入れてもイイヨと思っていても、たった一人のクレイマーが苦情をいったがために、まるでそれが客の総意であるかのように取られてしまうのだ。

 クレイマーの意見と言うのは、ありがたく頂戴して運営の参考にする。しかしそれが本当にお客の多数意見なのか、為になるのかを考えなければならない。クレームが出ないようにするためだけの対応は焦点がズレていると思う。

 なんて思っているのは実は自分だけだったりして。小心者クレーマーのお話でした。

 1月21日

 石コロけとばし 夕日に泣いた僕
 夜空見上げて 星に祈ってた君
 (玉置浩二『田園』より)

 一週間前に降った大雪が、都会のビルに日を遮られ、そこここに今も溶けずに残っている。小学生の頃にやった日陰の温度差の実験を思い出した。その硬く凍りついた雪の塊を革靴で蹴飛ばしながら帰る。蹴るごとに割れ、蹴るごとに削れ、数メートルも進むと砕け散る。そうしてまた次の雪の塊を蹴りだし、昔はよくこうやって、小石だとか空き缶だとか蹴りながら帰ったなと、急に懐かしくなった。

 そこでふと思った、今の子たちはどうなんだろうか、と。道路は綺麗に整備されよくよく見回しても道端に石が落ちていることなんかないし、缶はペットボトルに取って代わってしまった。つらかったり、悔しかったり、苦しくて泣きたくなったりしたときに、そのどうしようもない思いをぶつけていたあの道端の小石は、今はもうない。便利さと安全性の影で、ひっそりと何か大事なものがいつのまにか無くなっていったことは、間違いがない。

 1月20日

 遠い道ほど迷わない。

 はるか遠くの山を目指して一歩ずつ歩き始める。その道のりは遠いけれど、一歩でも前に進めれば、次の一歩だってやっぱり前に進めた。そうやって一歩一歩進んできた道だけど、その山が近くなりあと少しだと思って回りを見渡せば、いつのまにか麓の樹海で迷っている。そんな気分。

 最初の望みは50になることだった。次は城を取り、DKになって、アジトも買って、クランだけでというわけにはいかなかったけど龍も倒した。そうして今は、次の一歩をどこに踏み出そうか迷っている。

 近づいたら近づいた分だけ遠くの夢を見なきゃ駄目なんだ。実現する夢はかなわぬ夢の途中にあるものだと気づいたから。

 1月17日

 18年と167ヶ月。

 知り会った人、好きになった奴、尊敬できる方。気がつけば身の回りの人たちがどんどん年下になっていることに焦りを感じている自分がいた。いつからだろう、他の人の年齢の項目が気になり始めたのは。すごい奴をただすごい奴として見ていられた昔は、出会った人みんなが年上だったんだと思い返して愕然とする。年齢なんか関係ないよと、素直には言えなくなってる自分に反吐が出る。

 ただ歳を食ってるだけで偉そうに見えた大人たち。自分もそんな大人の仲間入りをしてしまっているのだろうか。もしかしたらあのときの大人たちも、今の自分と同じように考えていたのかもしれない。わかったようなこと言っていたわかったような大人。本当にわかっていなかったのは自分の方だったんだと気づかされる。

 世の中って、自分よりすごい人の方が多いんだろうな。

 1月16日

 大事なのは "変わっていくこと" "変わらずにいること"
 (槇原敬之『遠く遠く』より)

 二年ぶりぐらいに、ここの過去ログをじっくり読みかえしていたら、なんだか卒業アルバムの文集を開いているような懐かしい気持ちになった。

 変わらない思い、変わっていった考え方、鼻につく言葉、忘れていた感情、思い出した出来事、思い出したくない記憶、伝えたかったエール、伝えきれなかった感謝。たくさんの愚痴と取れなかった笑い、そしてうまく表現できなかった多くの事。

 一つ一つの文章が、過去の自分から今の自分に送られたメッセージに見えた。自分も社会も生き方も好きな人や毎日の生活、たくさんのことが変わっていったりしたけれど、未来の自分に向けてのメッセージは変わらずに書き続けていこうかなと思った。そして、恥ずかしさはあるけれど、それを読んでもらいたいと少しだけ素直に思えた。

 1月15日

 ハッピーエンドでは終われない。

 まぁ正直ときどきね、いつまで続くんだろう、いつまで続けるんだろうって思うことはある。これが小説や映画なら龍でも倒して城を取ったらそこで大団円ってなもんだけど、現実はそんなに綺麗にはいかないし、そんなに都合よく終わりたくもない。

 全ての物事にはいつか必ず終わりがくる。これは避けられない現実だけど、それがハッピーエンドならいいわけ?その終わりが幸せならそこではまだ終わりたくないって思うのが当たり前だよね。だとしたら、僕らの行き着く先には悲しい終わりしかないのかな、なんて悲観過ぎるか。
 でもそう考えたらね、毎日少しづつ幸せを積み上げなきゃ駄目だって思ったんだ。

 僕らが目指すべきなのは、ハッピーエンドではなくハッピーキーピング。

 1月14日

 僕は人から贈り物をもらうと、しまいには大抵そのために悲しい気持ちにさせられるんだ。
(J.D.サリンジャー 『ライ麦畑でつかまえて』より)

 自分に自信がなくて、だから他人から好意を受ける資格が自分にあるのかどうかも本当は不安で分からない。ここまでは赤点で、これだけできたら花まるですって、点数にして教えてもらえれば自信もてるのかな。

 わかっているんだよ、素直に笑って感謝すればいいことぐらい。ただ頭が単純に計算できることも、心が単純には理解してくれない。
 気づけば口から出るのは嫌味や冗談ばっかりで、そうやって裏腹な行動で無闇に相手を傷つけて、その切っ先は結局自分に跳ね返ってくる。

 いつだって本当に伝えたかったのは、ただひとつだけ「ありがとう」と。