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3月31日 善意の押し売り。 本当はね、僕はいい奴なんかじゃないんだよ。全部自分のために、実は相手の優しさに付け込んでいるだけのこと。 すべてはただ、一人にはなりたくないから・・・。 3月28日 道を外れたり、壁にぶち当たったりすることが大事なんだって 俺ぐらいになると分かるわけよ すんなり迷わず進んだら もっとやれることがあったんじゃないかって逆に不安になる RPG通の俺に言わせれば、行き止まりこそ正解の道 3月27日 東京ならではってほどのもんじゃない。 お好み焼き、たこ焼き、いよかん、薩摩黒豚、飛騨牛、神戸牛、辛子明太子、味噌煮込みうどん、河豚、きりたんぽ、どこもそれぞれ名産品をもってるけど、東京のもんじゃ焼きってこのグループに入れる気がしていない。 東京下町のソウルフードなんていわれてるけど、下町に住んでても実際は数年に一回食べるかどうかのレベルだし、どちらかといえばお好み焼きの方が食べられてるし、もんじゃ焼きの焼き方も知らないって東京人が大半だし。大阪人がお好み焼きやたこ焼きを年に一回しか食べないなんてことあるのかな?それで名産っていえるのかな? みんながいろいろなものを持ち込んで、それで東京が形成されている。都会ぶってるけど実際は田舎もんが集まって肩肘張って生きているそんな街。だから東京でもあるものばっかりで、東京にしかないものってほとんど無いんだなって思った。 3月26日 大人の階段って実は上りのエスカレーターなんだよね。下りは無いんだ。 3月25日 氷の微笑。 フィギュアスケートとかシンクロナイズドスイミングとかで競技者が演技中に見せる笑顔が怖い。あそこまで無理に笑わなければならないものなのか、不気味すぎて逆に低評価だと思うのだが。真剣な表情だけで十分伝わると思う。それとも、自分の美的感覚がおかしいのか。実はあれが美しい姿なのだろうか。 そういえば、ミスユニバースもあまり美しいと思ったことが無い。彼女たちもこれ同じような笑みをいつも浮かべているような気がする。張り付いたような氷の微笑。これがグローバルスタンダードなスマイルということなのかもしれない。東方の猿には理解できない。 でも別にそんなことは関係が無い。世界基準がどうだろうが、演技終了後納得のいく結果だったときに競技者が見せる笑顔の方が私は何倍も好きだ。 3月24日 実演販売。 待ち合わせまでに少し時間が空いてしまったので、デパートのベンチに座りながら実演販売を眺めていた。ダイヤモンド刃の簡単包丁研ぎ機らしい。「この溝に包丁の刃を差し込んで、前後にいーち、にっさんっしーのごっとするだけ、たったこれだけで切れ味が甦ります。」立て板に水の口上で道行く人が脚を止める。実際研ぐ前は切りにくそうだったトマトがスパスパ切れる。固いかぼちゃもスパスパスパ。 実演に区切りがつくと、数人の客が買い求めたようだ。一瞬興味が湧くが、包丁を研ぐことなんか年に一回ぐらいだし別にいらないよな、なんて考えているうちにお客が掃け、また次の実演が始まってしまった。さきほどと同じように切れない包丁を取り出し、トマトがグニャとやり始める。同じ口上、同じ身振り、あぁもうこれは一種の芸なんだなと感心する。 毎日毎日、いろいろなところを回り研ぎ機を売っているのだろう、何百回も繰り返している公演、プロの演技。一回約20分の公演で、そのあと10分の販売をワンサイクルとして、半日12回公演か大変だな、なんていう計算をぼんやりとする。 そのままぼんやりと一回の公演で切れない包丁が二本研がれるから、半日で24本の切れない包丁が必要だなと考え進めて、苦笑い。毎日毎日、そんなに切れない包丁をどこから集めてくるのだろうか。実は研ぎ屋との兼業?なんて無理やり想像して、そういえば昔は自転車で包丁を研いで回っている人がいたけど最近見ないな、なんていう連想を始めたところで待ち合わせの時間になった。 よく切れる包丁をいかに切れないように見せるか、そこがこの実演販売の肝だったんだなぁ・・・。 3月21日 一円ぐらいたいしたことない。 百円と百一円なんてたいして違わないよね、じゃ百一円と百二円も違いないよね。なんていうことを続けて揚げ足を取るくだらない言葉遊びがあるけれど、生きるっていうことはつまりそういうことなのかもしれない。 一日一日なんてたいしたことないのかもしれない。けど、それが積み重なっていつのまにかたいしたことになってるんじゃないのかなってね。 3月20日 強い者が勝つのではない、勝った者が強いのだ。 (フランツ・ベッケンバウアー) 美しい者が勝つのではない、押しの強い者が勝つのだ。(結婚) 賢い者が勝つのではない、馬鹿やってる者の方が強いのだ。(人生) 3月19日 霜降り肉だって毎日食ったら飽きる。 イベントマップで強化されたボスが常時でていることに非難が集まって、速攻修正されてしまったけれど、ペナルティがあるとはいえ夢幻にボスが大量湧きするイベントに比べたら、よっぽど狩りやすかったと思うのに人気が出なかったのは何故なのだろうか。 イベント企画者の意図としては、各エリアにボス狩りの集団が生まれて、ボスを狩る人たちと普通にイベントモンスターを狩る人たちとが二手に分かれて進行する予定だったんだと思う。ところが実際にはボスを狩る集団が形成されず、イベントマップをボスが徘徊する形になってしまった。 常時湧きではなく、一時間に一匹湧きだったら、出現した瞬間に全チャでも流れて、あとは一斉ににワーっと走って行ってみんなでたこ殴ってEND、みたいないつもの流れができていたと思う。ところが、一時間に一匹より大盤振る舞いのつもりで常時出す設定にしてみたら、逆にお祭りにならなかったわけだ。 常時出ていることが、ボスとして魅力あることではなかったということ。例えば、地底湖の亀が一時間に一匹しかわかない敵だったとしたら、どんなにドロップが不味かったとしても今のように放置されることは無いだろう。つまりボスというのは、ドロップが旨いとか、周りの敵より強いとかというだけでなく、その存在が希少であることも条件のうちなのだ。 しかし、まったく出現しなくなるっていうのはどういう理由なの、やることが極端すぎる。 3月18日 悔いは無い、なんて言葉で満足して欲しくはない。 もし本気で悔いは無い、なんて言ってるんだとしたら幻滅する。精一杯やった気になっている自分を慰めるための方便か、一生懸命やったんだから仕方ないでしょと周囲に認めてもらうためのアピールにしか思えない。 悔しい気持ちが湧かないというならそれは本気ではなかったということ。本気で精一杯やったのなら、悔いが無いはずが無い。あーすればよかった、こーすればよかった、百の千の後悔をするはずだ。悔しいんだよ、悔しくて当然なんだ。 いつだってなんだって、うまくいったっていかなかったって、全力でやったのなら必ず悔いはある。 3月17日 子供の頃の夢をみんなが叶えていたら、世の中花屋とおもちゃ屋だらけだ。 街のおもちゃ屋さんとか花屋さんとかは絶滅危惧種だけど、ケーキ屋さんはまだまだみる。でもパティシエってほとんど男性だよね。今の大人が子供の頃になりたかった職業は、男の子がおもちゃ屋やパン屋で、女の子がケーキ屋と花屋じゃなかったっけ。世の中願ったとおりにはいかないものらしい。 今の子供が将来なりたい職業には、アニメのキャラクター(男の子第4位)歌手タレント(女の子第2位)なんてのがあるけれど、この子たちが大人になったときには、テレビやCDなんてものは見向きもされなくなっているかもしれない。 そのとき未来の少年少女はどんな夢をみるのだろうか。 3月14日 余り物の乾パンをクッキーだと偽って渡そうか、なんてことを少しでも考えた自分が痛い。 だから、せっかくならホワイトデイにも選択権があるといいと思う。日ごろの感謝を示したいのは男の側だって一緒なわけで、でもなにもないときにそれをするのは、ハードルが高い草食系もいっぱいいると思う。 バレンタインデイから始まる恋もあるならば、ホワイトデイから始まる恋だってあってもいいんじゃないかな。でもそうなると、4月14日にも何とかデイが必要だなと思って調べてみたら、すでにオレンジデイなるものがあるらしい、いやはや商魂たくましいなぁ。 3月13日 特になにもない一日などない。 ここにまた文章を書き続けていこうと思った日から、毎日何をどう書こうか考えている。書くことを探しているからいろんなことに目を止め、いろんなことをより深く考え、それをなるべく忘れないように努力している。一日の中で人間は本当に多くのことを考えている、目にしている、行動している、特になにもない一日などない。それがあるとするならば特になにも記憶していない一日なだけだろう。 目にしたものや、耳にしたこと、匂いや味に刺激を受けてもの凄く多くのことを考えているが、ただそれはぼんやりとした思考の流れで、一生懸命に留めておこうとしないと、すぐに流れ去ってしまう。この何とか留めておこうとする行為が、すなわち言葉にするということ。 ぼんやりとしていた思考の流れを、少しだけはっきりとさせそれを言葉にして残す。それでも全てを残すことはできない。言葉にするってことは本当に難しい。もっともっと色んなことを考えているけど、言葉にできるのはそのわずかだけで、それだって言葉にした瞬間には、考えていたこととはだいぶ異なる感触になる。ぴったしに染まる色が見つけられないヘタな絵描きが、ぐちゃぐちゃに書きなぐったキャンパスの上から、もっともらしく柄に見える部分だけを取り出しているようなもので、全体像としての思考からはほど遠い。 毎日毎日、書こうと思うことはたくさんあるのに、それが言葉にならなくて、もどかしさばかりが溜まっていく。 3月12日 誕生。 3月11日 あのとき。 仕事場の災害用備蓄食料の入れ替え作業をした。貰い手の少ない乾パンをかじりながらあのときのことを思う。あの日東京では、スーパーやコンビニなどから水や食料がいっせいに消えた。その横でマクドナルドや吉野家が売切れることも、長い行列ができることもなく通常通り営業を続けていた。未来に対する不安だけが一気に膨らみ、その傍らで現在の生活は普段どおり滞りなく行われていて、そのギャップがとても奇異に感じられた。 あのときに買い占められた食料品たちは捨てられること無く食べられたのだろうか。あのときに感じた災害に対する不安は今も活かされているだろうか。あのときの決意は失われること無く心に燻っているだろうか。あのときに確かめ合った絆は今も固くつながっているだろうか。どれもはっきりとYESとは言い難い気がする。 3月10日
東風吹かば 匂いおこせよ 梅の花 微かな梅の香りに誘われて天神様の境内へ、梅の花が満開でした。しばらくすると、鼻が香りに慣れてしまい、花に顔を近づけないと匂いを感じられなくなる。遠くから香っているうちが華なんだと気付き、苦笑い。 桜に比べて梅の花は話題になることが少ない気がしますが、何故でしょうか。満開の梅園も人影がまばらで静謐な雰囲気。これが桜なら、いい陽気だし木の下でドンチャン騒ぎでも起きてしまいそう、と考えたら、一つ理由を思いつきました。桜は散るのを目で楽しむのに対して、梅は香りを鼻で楽しむ花なので、酒臭いお花見には合わないのかなと。 帰る道すがらよくよく注意して見ると、民家の庭先にもちらほら梅の木がありました。せっかくですから鼻を頼りに梅の木を探して楽しむのも一興ではないでしょうか。酒のんで騒ぐのはお断りですよ。 3月7日 リネージュの王子様。 リネの君主はクランを作ることしか能のないお荷物キャラだったはずが、いつのまにか、何でもこなせる万能職になってしまった。あれもこれも全部一人でできるようにはなったが、逆に君主というキャラの君主たる特性が薄れてしまったようにも感じる。 リニューアルされたクリスタルケイブはクラス別のダンジョンだけど、そこで見かける(といってもそもそも見かけること自体少ないのだが)プリはエンブレムも見たことのないような戦闘職としてのプリばかりで、そういえば、大手のクランのプリの名前って聞かれてもほとんどわからなくなったな、と思い至る。 韓国ではクラスごとにヒールの回復量が変わるアップデートがあったらしい。君主キャラのヒール回復量は下がるらしいがそんなに悲観はしていない。もっと君主は君主らしくあるべきなのだ。弱くてもいい、なにもできないからこそパーティを組み、仲間を集め、クランを作るのだ。そのくらいでめげるようならプリとしては、まだまだだね。 3月6日 うらやましい。 いつも自分にはいろいろなものが欠けている気がしていた。自分にないものばかりいつも数えていた。ガラスケースのむこうのおもちゃを欲しがって駄々をこねていた子供のときからなにも変わっていない、つまりは周囲の人間がうらやましいのだ。 そういうことを長年続けてきたせいで、何かいいなと思ったものがあっても、そのすぐ次の瞬間には、いいなと思ったものの粗を探すようになってしまった。そうやって自分には必要がないという理由を付けておかないと落ち着かないのだ。 欲しいものをなんとしても手に入れるという気概も、なんとしても手に入れたという成功体験もないから、気がつけば自分には大事なものがなにもない。なにもないものだから周囲の人間が大事そうに持っているものばかりがうらやましくなるのだ。 馬鹿みたいな堂々巡り。 3月5日 血盟員が91人以上いる血盟の君主が血盟員リストを開くとゲームが強制終了します。(lineage公式より) 今日のメンテナンスで直っているのではないかという淡い期待を抱いていたが、二週間かかってやっとバグの存在を公式に認めただけなようだ。プリの受難は続く。 3月4日 蛙の子が蛙である確率よりも、蛙の親が蛙である確率の方が高い。 電車の中で座席を占領して横になって寝ているおっちゃんっていうのは時々見るけど、横になって寝っ転がっているランドセルを背負った小学生っていうのを初めて見た。電車で通学させるぐらいだからどっかの私立の学校の児童なんだろうが、そんなところに通わせる前に躾けるべきものがあるのではないか。 周りの乗客の白い目をよそに、わがまま王子様は土足の足をばたばたさせたり、ごろごろしたり傍若無人。隣の客がやんわり足を下ろすように注意してもキョトンとした顔をしている。自分の行動のなにがいけないのかが分かっていないのだ。小学校1年ぐらいまでならまだぎりぎり許される範囲かもしれないが、どうみても中学年。どう育てたらこんな殿様蛙が生まれるのか、比喩ではなく本気で親蛙の顔を見て見たいと思った。 3月3日 あれもしたい、これもしたい、もっとしたいもっともっとしたい。 スキー板を背負い、重そうな足取りで荷物を転がしている疲れた表情の青年とすれ違う。スキー帰りかどこで滑ってきたのかな、楽しかっただろうなと考えるのと同時に、明日も仕事あるだろうに自分には無理だなと思っている自分がいた。 やりたいと思ったことが、肉体的制限によってできなくなるって、すごいやばいかもしれない。やりたいと思ったことと、やりたくないと思ったことを指折り数えてみたら、やりたくないと思ったことのほうが多かったりして愕然とし、焦って必死にやりたいと思うことをひねり出してみたりする。 スキーに行きたいな、久しぶりにオフ会もしたいな、麻雀をして温泉にも入りたいな。暖かい陽だまりの芝生の上でごろんと寝っ転がって、猫とじゃれあっていたらいつの間にかうとうとしてて、起きたら真っ赤な夕日がみえて、バカヤローなんて叫んでみて、これが青春だ、なんて言ってみたいな。 ということで、スキーオフin温泉with猫all night麻雀なんて誰かどう? |