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 7月31日

 寂しさゆえに愛が芽生え お互いを知って愛が終わる
 (長淵剛『巡恋歌』より)

 どんな敵が出るのだろう、どんなアイテムが手に入るのだろう、どうやったらボスに会えるのか、そういったわからない部分があるから挑んでみたくなる。これこれこうやって、こうしたらこうなるみたいなパターンを試行錯誤し、最適化する。その過程が一番面白くて、それが完成に近づくほど作業になり陳腐化する。

 恋愛も同じようなもので「あなたのことをもっと知りたいわ」と付き合いが始まり、「あなたのことがよくわかった」で恋が終わる。

 そう考えると、わからないからこそ面白いんだと気付く。わかりたいのにわかってしまいたくないという不合理な気持ちが生まれる。もっといろいろなことが簡単に忘れられたらいいのに。覚えておきたくないことほど覚えていて、覚えておかなきゃならないことほど忘れてしまうのは何故だろう。

 わからないってことはとっても素晴らしいことなんだ。もっとわからないって事を楽しんだらいいと思う。

 7月30日

 いつでも人間は本当に手遅れになってからでしか物事を理解することはできないのだな、と思うのだ。

 7月29日

 ボス祭りの終演。

 直近にこれだけの物をやってしまうと、夏イベはかなりがんばらないと盛り上がらないような。いやその前に、日ノ本第二段もあるし、秋イベにずれ込む可能性大か。

 7月28日

 男子三日会わずんば即ち刮目して見よ (推敲)

 手軽に文章を修正できるというのは、デジタルデータのいいところでもあるし、見ようによっては悪いところでもある。夜中に書いたラブレターを朝になって読み返してみたら、その表現に小っ恥ずかしくなってびりびりに破いてしまった、などという経験は無いけれど、つい一回前の記事でさえ、次の日に読んで見ると別の言い回しが良かったとか、なんだか考えていたこととは違うなとか思うことはある。

 しかしだからといって、明らかな誤字脱字を除いては、以前に書いた記事を直すことはしていない。書いているときのその気持ちを大事にしたいと思うからだ。たった一日でも、他人とふれあって戸惑い笑い、本を読んで感動し叫び、走ってはつまづき、人は変わっていく。その変化を記録しておくことにこそ書き続ける意味がある。

 7月25日

 未推敲

 明らかな誤字脱字を除いては、以前に書いた記事を直さないようにしている。つい一回前の記事でさえ次の日に読んで見ると、もっといい表現があったとか、ここはなんだか思っていたこととは違う感じに受け止められるな、などと思うことがある。もちろん書いているときには何度か読み直して推敲してからアップしているわけだが、それを別の日に行うのは意味が違うかなと考えている。

 たった一日でも、人から感銘を受けたり、書物に影響されたり、行動して成長したり、思考回路が変わっているわけで、だからこそ書き換えたくなるのだろうが、そのときの気持ちを大事にしたい。後から読んだときにその方が意味がある。

 7月24日

 寿限無。

 今月は長文が多い気がする。長い物を書けばいいというものでもないし、長い物は読むほうも面倒だろうし、もっと自分の言いたいことを簡潔かつ的確に表現できる力が欲しい。

 小説を書く作業は言葉を削る作業だと、星新一が言っていたが、つまりそういうことなのだというのは書いてみてよくわかる。
 

 それでは今夜最後のリクエストは、東京都のペンネームシェリーさんよりBEGINで『それでも暮らしは続くから全てを今忘れてしまう為には全てを今知っている事が条件で僕にはとても無理だから一つづつ忘れて行く為に愛する人達と手を取り分けあってせめて思い出さないように暮らしを続けて行くのです』です。See you next week bye-bye!!

 7月23日

 逆風というよりは無風。

 衆院選は民主党への逆風が吹き荒れ自民党の大勝となったが、今回の選挙は野党各党への逆風が吹いたというよりは無風だったのではないか。約50%の投票率。国民の二人に一人は選挙に行かない中で組織票を持ったところがより強かったということ。

 政治や投票への無関心や消極性というのは、根本のところで教育のあり方にまつわる問題から生まれている。今の学校は過去の反省からかあまりにも政治や宗教について教えることをタブー視しすぎているのではないか。確かに教育が政治と関わるとロクなことはないが、政治に無関心な子どもを育てるということは結局は与党を有利にして肩入れすることになる。
 
 政治とは何か、どのように自分たちに関わってくるのか、厳正に中立な立場から教えていく必要がある。

 7月22日

 土用の丑の日

 うなぎってさ結局はタレの味だよね。うなぎは小骨が気になって好きではないので、うな丼のタレ68円也を買ってきました。

 炊き立ての白飯にどぼっとかけてはふはふ食べる。うーん美味い。

 7月21日

 えんぴつ。

 文書作成はパソコン手紙はメールと、ときどきサインを入れるときにボールペンを使うぐらいで、鉛筆を握ることはほぼなくなった。小学校の低学年の頃は鉛筆を使っていたような気もするが、はっきりと記憶に残ってない。ほとんどシャープペンシルで文字を書いていた気がする。

 そんな鉛筆で文字を書く日が年に数回あることに気が付いた。投票所ではいつも何気なく握って書いていたのだが、ふっと意識してみたらこれが物凄く書きやすい。ツルっとした用紙と濃い目の鉛筆が相性抜群で止め跳ね払いが綺麗に決まり、自分の字が流行の美文字に見えてくる。なんだかうれしくなって二枚目の比例区の投票用紙ではさらに意識して書いたので、ガッチガチになりバランスが悪くなってしまった。消して書き直そうかなと見回したら、消しゴムが置いてない。そんなことにも今まで気付いていなかった。何か深い理由があるのだろうと思い、そのまま投票して帰った。

 あの紙のノートと鉛筆をセットで売ったら意外とヒットしそう。てか欲しい。そういえば手回しの鉛筆削り器とかロケット鉛筆とかってまだあるのかな。

 ちなみに今調べたところによると、書き損じた場合は申告すれば別の紙に交換してもらえるらしい。へぇーへぇー。ちなみに消しゴムを置いていないのは特殊な加工の紙なので上手く消えないから。へぇーへぇーへぇー。 

 じゃあ、だめじゃんっ!

 7月18日

 いじめ防止対策推進法。

 なんだかんだ言っても、子どもたちは大人たちの真似をしているだけ、子どもたちの間にだけ存在する犯罪などない。

 大人たちの犯罪が法律で無くすことができないように、子どもたちのいじめを法律で無くすこともできないだろう。

 いじめは絶対に存在する。できることは、毎日毎日その芽が大きくならないよう必死に摘むことだけ。摘んだそばからまた別の芽が生えてくる。その繰り返ししかない。

 うちの学校にいじめはありません、なんていうのは、うちの学校ではいじめを見つけることはできません、と能力の無さをアピールしているようなものだ。

 7月17日

 反ハイパス同盟。

 経験値を稼ぐことを苦痛だと感じるプレイヤーが多いから、短時間で楽に経験値を稼げるコンテンツを作るというのは、ゲーム製作の方向性としては間違っているのではないか。苦痛に感じるのはゲーム内容が単調で作業的であるからであって、狩りが面白くなるような工夫をすればゲームを楽しんでいる間にいつの間にか経験値などは稼げているはずなのだ。

 簡単に手に入るものに価値を見出すことは難しい。ある程度の難易度があってはじめて達成感や誇りといった物が生まれる。オンラインゲーム会社とは突き詰めて言えば、データに価値を持たせて売る商売なのだから、その価値を減滅するコンテンツを作っていては結果的に自分の首を絞めることになる。

 月額課金の頃はゲーム性を売りにしていたが、同じようなゲームが乱立し売れなくなった。次に文様を販売し、経験効率を高めることで経験値を間接的に売った。それも売れなくなったから、今度はガチャでアイテムを直接的に販売し始めた。これも売れなくなったらどうするつもりなのだろうか。もっと原点に戻ってゲーム性を売りにできる、プレイすることが楽しいと思えるゲームを作ることをゲーム会社には期待したい。

 7月16日

 二律背反

 知られたくない想いを理解ってほしい。

 愛されたいのに愛されたい分だけ高い壁を築いている。

 泣きながら笑って、心閉ざし口を開く正直な嘘。

 奪って分け合って、傷つけながら傷ついて、尚刃止められず。

 前向きに後ずさろうとし、矛盾を抱えてどこへも向かえない。 

 7月15日

 時間がない。

 当然ながら一日は24時間しかない。24時間という上限が決まっている中で誰もがやりくりしなければならないのだから、何かしたいと思ったら必ず時間に束縛される。ただ、24時間という時間の長さは実は万人に平等ではない。

 極端な話、普通の人間の倍の速さで活動し、倍の速さで思考し、倍の速さで処理し、何もかも倍の速さで動ける人物がいたとする。普通の人が二分かかることを一分でこなしてしまうこの人が感じている一分の長さは、普通の人が感じる二分の長さに等しいのではないか。この人にとって一日とは普通の人の二日分に相当するのではないか。

 流石に何もかも倍速で動ける人などはいないだろうが、1割り増しぐらいならどうだろうか。一割り増しだとしても。24時間の一割分、2時間24分ぐらいは普通の人より余裕を感じられるということにはならないだろうか。

 つまり、時間が無いということはスピードが無いということ。ではどうすればスピードを上げられるかというと、目標タイムを決めること。何かをするときには必ず終わりの時間を設定する。仕事も遊びもこの時間になったら終わるという時間を決める。終わりの時間を決めて必ずそこで終わらなければならないとすれば、否が応でもスピードは上がる。仕事が残っていても、遊び足りなくても必ずそこで終わる。火事場のクソ力というか背水の陣。終わりの時間を決めておかないからダラダラノロノロといつまでも締まりなく続けてしまい、あぁなんでこんなに時間が無いんだろうと嘆くことになるのだ。

 だから私のリネージュは23:30分まで。

 7月14日

 カップラーメンは5分かかるものもあるから気をつけろ。

 技術的にはもっと短い時間で完成するものも可能だが、あまり受けが良くないらしい。カップラーメンといえば3分というのがもはや常識であり、あまりパッケージの説明など読まないで作る人が多いからだそうだ。3分というグローバルスタンダードを確立したカップヌードルはやはり偉大だ。

 カップヌードルといえば、ノーマル、シーフード、カレーの三種が定番。このうちノーマルとシーフードには海老的な奴が浮いているので、必然カレーを選ぶことになる。

 私的カップヌードルカレーの食べ方。ここまでのラインよりかなり少なめ、麺がかぶるかかぶらないかぐらいのお湯を注ぎ3分待つ。麺の上に乗っているカレーの濃いところをスープに溶かさないようにしながら、麺に絡めて食べる。なるべくかき混ぜないように食べ進み、スープを飲み干す。カップの底にたまったドロっとした奴を割り箸の反対側の太い方ですくってなめる。

 とろみ3倍カレーみたいなの出したら売れると思うんだけどなぁ。
 

 7月11日

 エスプレッソーダ。

 昨日の記事に早速タレコミがあったので、炭酸コーヒーを探してみました。が、ローソンにもセブンイレブンにもその存在を発見することはできませんでした。

 残念、とあきらめかけたとき、ふと視界の隅に炭酸水99円(ウィスキーなどのお酒を割るためのアレ)を捕らえて、ピカーンとひらめきました。無ければ作ってしまえばよいと。インスタントコーヒーを炭酸水で作るというなんともお手軽製法。

 その味は、私のつたない文章ではお伝えすることができない不思議な味でした。興味の湧いた人は試しに作ってみてはいかが?

 7月10日

 炭酸を飲むとしゃっくりが出る。

 炭酸は体に良くないからと、子供の頃には一切炭酸飲料を飲ませてもらえなかった。コーラを飲むと骨が溶けるとまことしやかにささやかれてもいた。

 その炭酸が今では美容にダイエットにデトックス効果があって疲労回復にもいいともてはやされている。コーラもいつの間にかトクホに指定された。あの話は何だったのかというぐらいの手の返しようだ。コーヒーも飲みすぎると癌になるとか言われてた気がするけど、カフェインには抗がん作用があるから飲んだほうが良いらしい。そのうちニコチンにも体にいい効果があるとか言い出すんじゃないだろうか。

 トマトのリコピン、ゴマのセサミン、緑茶のカテキン、ワインのポルフェノール、乳酸菌LE21等など。体に良い効果があるみたいな話がどんどん広まって行ってるけど、そりゃ何にだって突き詰めていけば有効成分の一つや二つはいっているだろう。何かの一成分だけを取り出して、それが特定の状況下で効果があるからみたいな話に踊らされて、裏で糸を引いているのは生産業者なのではないか。

 体にいい成分が含まれているからって、それだけを食べればいいってものでは無いと思う。最も大事なのはいろいろな物をバランスよく採ることだろう。

 そういえば、コーヒーに炭酸をいれたバランス飲料って無いけどやっぱり不味いんだろうか。

 7月9日

 異常気象。

 梅雨明け宣言が成されてから毎日のように雨が降っている。梅雨前線による雨ではないが釈然としないのは事実。気温が39℃近くまで上昇する猛暑が続いている。

 今年は偏西風の蛇行によって異常気象が起こっているらしいが、その前はエルニーニョだとかラニーニャだとか大陸性高気圧がどうのこうのとか言ってたような。物心ついてから毎年絶えず今年は異常気象異常気象と言われ続けている気がするが、そもそも何と比べて異常なのだろうか。異常が平常化しているような気もする。

 例えば、あるテストを行った結果、クラスAは全員が50点、クラスBは半分が80点付近でもう半分が20点付近だったとする。このとき、どちらも平均点は50点と同じだがその意味合いはかなり違う。平均点が50点のテストで80点または20点を取ったクラスBのメンバーは異常だろうか?全員が50点だったクラスAのメンバーも十分異常ではないだろうか?

 過去十数年の平均から外れているから異常とは短絡的にはいえないのではないか。なんだかいろいろ原因をあげつらっては異常異常と言って、異常だから天気予報が当たらないんです、と予防線を張っているように感じられる。

 こんな穿った見方をする私は異常だろうか。

 7月8日

 ネット選挙。

 インターネットでの選挙運動が解禁になったから若者の投票率が大幅に上がるとか期待されているけど、どうだろうか。それほど変わらない気がする。本当に投票率を上げたいのなら、選挙運動だけでなく投票もインターネットでできるようにならないと意味がない。若者が選挙に行かない理由の大半は行くのが億劫だからだろう。

 20代30代の人にネット選挙解禁についてどう思うか聞いたら、意外と多くの人がインターネットで投票ができるようになると勘違いしているらしい。つまりはそうなることを望んでいるから、ネット選挙解禁と聞いてすぐに投票もと早とちりするのだ。

  7月7日

 狐の嫁入り

 西日を受けて長くくっきり延びたアスファルトの上の影をさらに濃く塗りつぶすように大粒のにわか雨が降ってきた。正面からやや傾いたぐらいでは衰えを感じない夏の強烈な日差しを浴びながら、雨の雫を体に感じるという稀有な現象に思わず空を見上げて立ち止まる。火照った体に雨が気持ちよく、そのままじっと見上げていると、雷鳴とともに豪雨にかわり、慌てて庇の下へ逃げ込んだ。

 雨宿りついでに立ち寄ったドーナツショップの二階で雨だか汗だかわからないものを乾かしながらふと窓の外を見ると、雨の向こうに巨大な虹が見えた。本当に狐に化かされた気分。

 7月4日

 天才の創造。

 読者が望んでいるストーリーを描いていては、いいものにならない。みたいなことを尾田栄一郎が言っていたのが印象に残っている。期待に応えるだけでは駄目で、その期待を裏切って、なおその上に行くモノを作らなければならないということだろう。

 これはゲームにも通じるところがある。プレイヤーたちは飽きやすくわがままで貪欲な王子様のようなものだが、そのプレイヤーが望むことを実現してやれば面白さを感じてくれるのかというと、そうでもないのだ。こうして欲しい、ああして欲しいというプレイヤーたちをなだめすかして、その期待とはとんでもなくかけ離れたところから新たな面白さを提供する。それができたときにプレイヤーは熱狂する。

 漫画だろうがゲームだろうが音楽に芸術だろうが全部そうなのだ。天才の創造は常に並の人間の想像の外にある。

 7月3日

 世の中にはどうにもならないことが確かにいっぱいある。だからこそどうにかなると思ったときにはどうにかしないといけない。

 7月2日

 川柳・動画コンテスト落選。

 いろいろな才能を持った人がいっぱいいますね。動画静止画なんてあまり集まらないんじゃないだろうかと心配しましたが、面白い作品がいっぱいありました。惜しむらくは、著作権利の関係や不適当な表現の使用で賞には選べなかった作品がいろいろあったのではないかということ。内輪だけならそれでもいいんでしょうけどね。


 面白い映像を作るのはTV局だけの専売特許だったものが、手軽に撮影ができるようになり、手軽に編集ができるようになり、それを手軽にアップする場所ができて、昔なら埋もれていたであろうクリエイターがたくさん出てきている。youtubeやニコニコ動画の面白い作品を集めてそれをTV番組にしてしまうというような逆転現象もおきている。

 明石屋さんまぐらいしゃべれる人とか、スピルバーグぐらい表現力を持った人とか、一学年に一人ぐらいの結構な割合でいるんじゃないかと思っている。ただ、その才能を伸ばしたり、発現させたりする場がとても少なくて表に出てこないだけで。そういう人たちがどんどん出てきて、ネットはまだまだ面白くなるはず。それはネットの素晴らしい面の一つだ。 

 7月1日

 むかし初めて特急電車が運行したときに、「乗車している時間が短くなったのだから運賃を安くしろ」と抗議した乗客がいたそうな。

 そうなんだ、僕らはどこかを目指して急いでいるわけじゃない。冷凍みかんでも食べながらもっとゆっくり走ってみてもいいんじゃないだろうか。