MENU_TOP.JPG

 8月29日

 夏の終わりに。

 友達顔をしてずかずかと他人の家に上がりこんでくるあいつ。こちらは一度だって友達だと思ったことはないのに、毎年夏になるとやってくるあいつ。一夏の厄介者「夏休みの友」。

 私も世の中の大多数の人間と同じように追い込まれてしぶしぶやり始めるタイプだったので、夏休みの宿題に手を付け始めるのがだいたいこの時期。残り三日の勝負になる。もちろん三日間も集中力が続くわけもなく、全てを完璧に終わらせることは不可能。だから、どれだけ上手に手を抜くかがこの勝負の鍵となる。

 例えば漢字の書き取りドリル、前から1/3だけやっても残りが空白だと印象が悪い。そこで10文字書かなければならないところを2文字づつにして最後までやる。さらに一気にやったと思われないように、シャーペンの芯の濃さを変えたり、途中鉛筆で書いたりする。これで労力は1/5で済む。同じように算数ドリルなんかも3問に1問ぐらい飛ばし飛ばしにやる。読書感想文は書評から子どもっぽく引用し、日記は思い出せる大きなイベントがあった日だけ詳しく書く。

 つまり、途中までやって後は白紙という状態をなるべく避けるのがコツなのだ。中身はスカスカでいいから最後までやるのが重要。そうすると一応やったといういいわけが立つ。それで怒られてもどうせ10分ぐらいのこと。丸三日宿題に拘束されるよりは何ぼもましだと考えていた。

 今になっても思うのだが、そもそも夏休みの子どもに宿題で勉強をさせようというのが土台無理な話なんだから、宿題なんていう効果の薄い事業はいっそ廃止にしてめいいっぱい遊ばせてやったほうが色んな意味で効果があると思う。

 8月28日

 手に入りそうなものほど意外と手が届かないものだ。

 まるでラムネのビー球みたいに。

 8月27日

 美味いラーメンに浮いているとろっとろのチャーシューも好きだけど、カップヌードルに浮いている謎の茶色い塊もやっぱり好きなんだ。

 小説は良いが漫画は駄目。自然原料は良くて化学調味料は駄目。国産は良くて外国産は駄目。高いものは良くて安いものは駄目。写真は良くてCGは駄目。新鮮だから良くて冷凍だから駄目。手製だから良くて機械だと駄目。

 そんなくだらない色眼鏡は全部取っ払ってしまえばいい。そうすればもっともっといろいろなものの良さが見えてくるはず。

 8月26日

 そうだよ、僕は嘘しかつかないんだ、本当のことは何一つ言わないんだ。
 (タチコマ『攻殻機動隊SAC』より)

 嘘しかつかない人間は、ある意味誰よりも正直者だ。

 8月25日

 根底にあるのはマンガは良くないものという発想。

 『はだしのゲン』の閲覧制限の問題や『風立ちぬ』の喫煙シーンへの苦言など、表現の自由と教育上の問題が対立する場面が多くなっている。『明日のジョー』や『巨人の星』が体罰を助長しているといい。『北斗の拳』や『HUNTER×HUNTER』が残虐性を刺激しているという。

 何百万、もしかすると何千万という人間が過去にこれらの作品を読んで育った。それでも今、十分に平和的な社会が築かれているではないか。何をそんなに恐れているのだろう。子どもたちには空想と現実を見分ける力があるし、残虐的シーンの中から平和的な願いや他人への思いやりを学ぶ力も十分にある。汚いものや醜いものから遠ざけ、無菌状態の温室で育てることにこそ問題がある。

 それにしても見えてくるのは教育現場の事なかれ主義の蔓延だ。閲覧制限の問題にしても何か確固たる理由があって行動しているわけではないのだ。誰かに文句を言われたからその通りにし、より大きな声で抗議を受ければ、簡単に前言を撤回してしまう。信念の欠片もない。もっと大局的に自信と威厳を持って行動してもらいたいものだ。子どもたちはそんなところもよく見ているのだから。

 8月22日

 日米通算4000本安打達成。

 4000という数字が特別に感じられるのは、たまたま人間の指の数が10本だったからにすぎない。イチローの真の偉業は、イチローを見て感動し、イチローのマネをして遊び、イチローになりたいと願った数多の野球少年を生んだことだ。

 いつの日かそんな少年の中からイチローを超える記録を生み出すプレイヤーが生まれる。そうやって感動はリレーされていくのだ。

 8月21日

 当選者の発表は、賞品の発送を持って代えさせて頂きます。

 大手出版社が雑誌の読者プレゼントの発送を水増ししていた事件は景品表示法違反による行政処分で、夜店のくじびき屋がくじの中にあたりを入れていなかった事件は刑法の詐欺罪。前者は社会的制裁はあるにせよ、文書による注意で反省すればお咎めなし。後者は裁判で有罪となれば実刑まである犯罪。この差はどこから生まれてくるのだろうか。

 むかし近所の駄菓子屋に10円のくじを引いて一等が出ると大きなラムネのお菓子がもらえるというのが売っていたが、あれはどこでも売っていたのかな?あるとき小学校のバザーで自分たちも駄菓子屋をやることになり駄菓子問屋までいって駄菓子を仕入れたことがある。よっちゃんイカがケースごとあったり、うまい棒がダンボールいっぱい詰まっていたり子供には衝撃的な場所だった。そこにこのくじ付きのラムネのお菓子もあったので、これも仕入れて帰った。

 そしてバザー当日、中に人の入っているダンボールで作った自動販売機だとか、釘を打った手作りのパチンコなんかと共に、このくじ付きラムネのお菓子も並べた。そのときに子どもたちは衝撃の事実を知ってしまったのである。ラムネの箱をあけると、一等二等三等四等と残念賞のくじが綺麗に区分けされて入っていたのだ。

 出版社の話も、夜店の話も氷山の一角であろう。戦々恐々としている人たちの姿が目に浮かぶ。

 8月20日

 postscript(追伸)
 
 メールなら文章をいくらでも追加したり書き換えたりできるのに、ついP.S.って使いたくなってしまうのは何故だろう。

 8月19日

 羞恥心、羞恥心、俺たちは 
 パワーはいつもどんなときも負けやしないさ
 (『羞恥心』羞恥心より)

 男性がプールサイドを上半身裸で歩いていても恥ずかしいという感情を抱くことはないが、女性だと恥ずかしくて歩けない。日本の女性はすっぴんで外に出るのは恥ずかしいが、化粧をすれば平気で、イスラムの女性は顔を見せること自体に抵抗がある。

 恥ずかしいという感情は、環境によって作られる。物を知らないと恥ずかしい。不器用だと恥ずかしい。ダサいと恥ずかしい。古臭いと恥ずかしい。訛っていると恥ずかしい。カナヅチだと恥ずかしい。どれもこれも、時代や国が変われば恥ずかしくもなんともないことばかりだ。

 パンチラに興奮しない男子が増えているという調査結果があるそうだが。腰パンに見せパンと下着を見られることを恥ずかしいと感じる環境が変わりつつあるからなのかもしれない。当たり前になれば恥ずかしくない。

 誰もが感じている劣等感や羞恥心なんて作られた幻想で、そんなにたいしたことではない。

 8月18日

 遊園地かぁ、込んでて暑そうだし、映画館にしない?

 猫が高い塀の上を平気で歩けのは、落ちたら危ないということが想像できないから。暗いところが怖いとか、高いところが怖い、というのは人間の想像力が豊かな証拠。

 お化け屋敷だとかジェットコースターなどは十分安全に設計されている。理性的に合理的に判断すれば危険はなにもない。ただ、想像力の豊かな人ほど、あの暗闇には何かいるのではないか、この高さから落ちたら死んでしまうな、ということを想像して恐怖を感じる。

 8月15日

 この暑さも役に立つことがある。

 午前中に干したシーツやジーンズが昼前にはパリッパリに乾いてた。お日様恐るべし。

 明日は黒いフライパンを外に出しておいて、目玉焼きを焼いてみようかな。

 8月14日

 24時間テレビ。

 どうせなら丸一日放送休止日として、協賛企業のCM放映権料と番組制作費を全額集めたら軽く10億は寄付できるんじゃないかと思ったり。 

 8月13日

 一千万デシベルのつぶやき。

 テラ豚丼に始まり、最近ではアイスケースの中に寝そべった、バンズを敷き詰めた、バーコードスキャンを股間に当てたなど、悪ふざけを行った写真や動画をネットに投稿し大問題となるケースが後を絶たない。

 大昔から、若者はお馬鹿で突拍子も無いことをしてきたし、斯く言う自分にだって思い当たる節がないわけではない。それで馬鹿やってるんじゃないよと大目玉で叱られたことはあっても、それが全国ニュースとなり関係のない多くの人に迷惑をかけ、あるいは店舗の閉鎖にまで至ってしまうようなことは無かった。

 ネットは世界中の誰でもいつでも閲覧できるのに、当人は閉鎖された空間、閉じられた場で仲間内にだけ喋っているつもりになってしまう危険をはらんでいる。気の置けない仲間同士のたわいもない冗談が、増幅し拡散しリピートされて大問題になる。

 ネットでつぶやくということはつぶやくという言葉とは裏腹に、誰彼構わず大声で叫びまわって走り回って瓦版を撒き散らして、それでも足りないぐらいの発信力を持つことがあるのだということを、いつでも頭の片隅においておかなければならない。

 8月12日

 日傘。

 男性もこうもり傘を日傘代わりに使うほどの暑い日差しが続く毎日。男性用のものを女性が使うのは社会的に許容されることが多いのに、その逆はハードルが高いのは何故だろう。男の沽券かプライドか。

 18世紀ごろまでイギリスでは雨傘も女性が使うものというのが常識で、男性は帽子で避けるだけだった。ある男が周囲の目を気にせず雨傘として使い続け、周りの人たちも使うようになったという。そのうち日傘を男性が差すことも珍しい光景でなくなるのかもしれない。

 などと考えていたら突然のゲリラ豪雨。日傘でもあればよかった。

 8月11日

 全部嫌いな奴はいないし、全部好きな奴もまたいない。

 ちょっとしたことが癇に障り、少し嫌な奴という眼鏡でみるから、嫌いなところがさらに増幅する。人が他人を嫌うメカニズムって実際は単純で、ささいなことから生まれて拡大しほとんどが個人の妄想だったりする。

 嫌いなところしかないっていうのは嫌いなところしか見てないってだけで、好きなところが一つもないっていう人間には早々お目にかかれない。

 8月8日

 アレがない。

 ドロップ率2倍イベントが始まって、実感する。手の届くレアが少ないことに。激レアとはいかないまでも、何度か通い続ければ出ると思わせるプチレアがほとんどない。

 装備品も気づけばほとんどが、イベントアイテムか課金装備、ボス固有アイテムや激レア装備で固められてしまっていて、狙うべき手ごろなアイテムがない。

 だからドロップ率2倍といっても宝くじを当てるような確率を乗り越えるかコツコツ稼ぐかしかないので、印象に残らず2倍感があまり楽しめない。かつてのジェネやビショップ装備、テーベ武器のような万人向けのレアが必要だ。 

 8月7日

 役に立たないいね!

 ブログや掲示板の口コミからヒット商品が生まれるにつれて、企業はその広告効果を最大限に利用すべくあの手この手で口コミを演出するようになった。Facebookの「いいね!」、TwitterのフォロワーやYouTubeのビューを増やすサクラ集団の台頭しかり。一人の人間が100件の書き込みをすれば、あたかも100人の人間が情報を発信し注目しているかのように簡単に演出できてしまう。ネットの匿名性の悪い側面が特に目立ってきた。

 だから口コミランキングほどあてにならないものはない。半分ぐらいはやらせなのではないかと思えるレベル。役に立たない情報ばかりが増え有益な情報がどんどん埋もれていってしまっている。自分の中に真贋を判断する絶対的な基準を持っていないと、情報の洪水に流されてしまう。

 困ったなどうしよう、ウィキペディアぐらいしか頼れるものがなくなってきた。

 8月6日

 今より若い時はない。

 8月5日

 遠慮の文化。 

 コーヒーか紅茶どちらになさいますか?と聞かれたときに、どちらでも結構ですと、つい返してしまう面倒な文化が日本にはある。

 聞き手はせっかくなら相手の好きな物を出したいと思っているのに、聞かれた側は何か自己主張をして相手に面倒をかけたくないからと遠慮をしてお任せにする。よくある光景だが、この遠慮が一番面倒だと多くの人は気付いていないのだろうか。

 遠慮して自分の意見を言わず決定を他人に任せる。相手の気持ちを考えているようで、実は決定を押し付けて楽をしている。そんな返事をされるぐらいなら、じゃあコーラでとか言われた方がまだまし。

 どちらでもと言うのは、そのぐらい察して一番いいようにしてくださいとわがままを言っているように聞こえる。たとえ本当にどちらでも良いと思っていても、どちらかを選択して答えてあげるほうが優しいと思うのだが。

 8月4日

 欠けているのは爽快感。

 崖撃ち。撒き餌。引き狩り。ランテレ。門ハメ。ヒール狩り。範囲狩り。隔離狩り。プレイヤーたちが試行錯誤を繰り返し、より安全により楽に狩りをする手法を生み出すたびに、ゲーム会社はそれを否定してきた。

 その結果、足を止めて殴り合いポットやイミュとヒールでごり押しをするだけの狩場のオンパレードになってしまった。固い敵、範囲攻撃、遠距離攻撃、毒にスタンと厭らしいことばかりで爽快感の一欠けらもない狩場。これでは狩りが面白くなるわけがない。

 撒き餌をしながらのおしゃべり。引き狩りで集まりすぎてアワアワしてしまったこと。1セルに上手くはめたときの優越。大量のモンスターを一気に倒す快感。もっといろいろな狩があってもいいのではないか。

 アイテムと経験値で釣るだけの狩場はもうお腹いっぱいです。

 8月1日

 「吾輩の辞書に不可能の文字はない」
 「すみませーん、この辞書落丁してます」

 むきょっふんぎょぉぉしゅぴぴぱしゅっぱーんじょわじゃじゃちょびばるばるだじゅっちゃーっちちょふんぎゃしゃっしゅぎゃほちゅらちょどこーんまおはらちゅらばしゅいっとぢゅあぢゅぢゅぢゅちゃらっしゅあわー。

 辞書に載っている言葉だけで表現しようとするから囚われる。完全に同じ色や音が再現できないように、完全に同じ気持ちも記号化することは不可能だ。ましてや限られた言葉の中では。