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 9月30日

 文化庁の「国語に関する世論調査」

 「自分の言いたいことが相手に伝わらなかった経験」があると答えた人が6割を超えていて、若い世代ほどコミュニケーション能力に自信がない傾向が見られるそうだが、なんだか結論ありきの調査に思える。

 逆に考えれば、「自分の言いたいことが相手に伝わらなかった経験」が無いと考えている人が3割強もいるということ。自分の話は相手に完璧に通じていると思い込んでいる人がこんなにもいるということの方にこそ危機感を感じる。

 言葉というのはどこかで必ずすれ違うものなのだ。だからいつだって相手がどう受け止めるだろうかということを考えて発言しなければならない。そうしたところで発言の半分も通じればいい方だろう。

 伝わらないものだと念頭においていることが重要で、自分の思っていることは当たり前に伝わっていると思い上がることが一番危ない。

 9月29日

 安全感覚。

 ステップに足をかけ体を半分宙に浮かせてバスに乗る少年。大量の荷物を抱え汽車の屋根で陽気に笑う若者。赤ん坊を抱きながら線路の脇を歩く母親。

 海外の旅番組などでたびたび目にする光景だが、この人たちの目には日本の厳しい安全基準はどう見えるのだろう。すばらしいシステムだと驚嘆するだろうか。馬鹿馬鹿しい平和ボケしていると笑い飛ばすのだろうか。

 事故が起こるたびに、その教訓から学び、より厳しい規制を設け、世界に稀に見る安全なシステムを日本人は作り上げてきた。それでも、毎年飛行機は落ち、電車は脱線し、車は事故を起こす。100%の安全などありえない。

 しかしだからといって、100%安全でないことを理由にこれらの利用をやめることもまたできはしない。あとは利便性と安全性を秤にかけて、これぐらいの危険性なら納得できるというところで、手を打つしかないのだ。

 最近思うのは、その秤の目盛りが安全側に偏りすぎているのではないかということ。日本人はあまりに安全慣れしすぎた。逆に危険性を感じる力が鈍って危なくなっているような気もする。
  
 9月26日

 バタフライ効果。

 道を歩いている。前方の信号が点滅を始める。急いで渡ってしまう か、それともゆっくり待つか。これぐらいのことでも、その先の人生は大きく変わっていく。その先で乗るはずだった電車に間に合わなくなる。一本遅くしたこ とで、誰かと出会うかもしれない。そうやって一瞬一瞬の選択によって人生はどんどん大きく変わっていく。

 きっかけなんていうものはどこにでも落ちている。そう、例えばこんなくだらない文章を読んだって、やっぱり読まなかった人生とは大きく変わっていく。あの時信号を急いで渡らなかったら今の人生にはなっていない。

 もしも何々していたら、なんていう過去仮定形で人は自分の人生を振り返ってみたりするけれど。実際そのとおりに行動していたとしても、結局別の形でまた過去を振り返って後悔する羽目になるだけのこと。人生はいつだって大きなターニングポイントの最中なのだ。

 過去を振り返って夢を見るぐらいなら、こう考えてみたらどうだろうか。今自分は未来から戻ってきたところだと。一週間後か二週間後か一年後かわからないけれど今戻ってきて、未来ををやり直すチャンスに来ている。さぁ、目の前の信号を渡りますか?それとも渡りませんか?

 9月25日

 村山富市元総理並みの長い眉毛を発見。

 アルバムに挟んで取っておきたくなるレベル。

 9月24日

 明るくはしゃいでいる自分。

 強がっておどけている自分。

 小利口そうで卒のない自分。

 気が回り物分りのよい自分。

 目立ちたがりで勝気な自分。 

 そうやっていくつもの自分を作り上げてきた。たくさんの仮面をかぶり、壁を築き、必死に中身を守っているうちに、どれが本物だかわからなくなってしまった。自分はそんな状態だと思う。

 硬い殻に覆われた木の実みたいなのもので、殻だけ固くなって中身は腐っていく。

 9月23日

 好き嫌い。

 自分は好き嫌いが激しい。海老、蟹、鰯、ししゃも、鰻、ピーマ ン、ピータン、西瓜、柿、さつまいも、、栗、コーンフレーク、牛乳、生クリーム、つぶあん、ビスケット、クッキー、きな粉、赤飯の中の小豆、酢豚の中のパ イナップル、パスタの中のたらこ、パンの中のレーズン。カレーの中のレーズン、ヨーグルトの中のレーズン、というかレーズン。

 以前はお好み焼きが大嫌いだった。友達の誕生日会に呼ばれて、そ のとき出された料理が初めてにして最悪のお好み焼きだったのだ。生焼けのパンの中にキャベツの千切りが入っているような風味も味もないお好み焼き。誕生日会の席 ということもあり残すわけにも行かず無理やり食べて気持ち悪くなった。それ以来大学に入って、初めてまともなお好み焼きを食わされるまで、そういう料理な のだと思って嫌っていた。

 最初に口にするもので人の好みは大きく左右される。好き嫌いをし てはいけません。なんて叱る親が多いけれど、好き嫌いになるのは最初に食べた料理が不味かったからであって、子供を叱る前に自らの料理の腕を上げる努力を すべき。美味しいものを嫌いになる子なんていないのだから。

 9月22日

 風立ちぬ。

 静かな一編の詩のような作品だった。森の中でじっと風に揺れる木々を眺めていたような気分。

 たぶん格好いいとか美しいっていう言葉は、本来その人の生き様や心のありようを表す言葉なんだろうな。

 最後に(なって欲しくはないが)格好良く美しい物語をありがとう。

 9月19日

 夏バテ過ぎて、秋バテ。

 というか、年中バテバテ。

 9月18日

 今、私の願い事が叶うならば翼が欲しい
 (『翼をください』山上路夫より)

 空を飛びたいと願っても、人間には羽がない。

 鳥のように自由に空を飛びたいと思うが、

 天敵から逃げ、餌を探すために飛ぶことは自由だろうか。

 空には何もない。

 だから空なんだ。

 9月17日

 台風一家。

 台風一過の青空が広がっておりますが、波はまだ高く波浪警報が出ています。お天気キャスターの読み上げる原稿を聞いて、台風一家(19号父、20号母、青空長女)が御機嫌よう(ハロー)と水平線に顔を出しているんだなと素直に納得していた子供時代。

 今でも、台風が通り過ぎた朝には思い出して笑ってしまう。

 9月16日

 味方がいるほうが弱い。

 五歳ぐらいの子供が道の真ん中でどてっと転んだ。そのまま何事もなく立ち上がるかと思ったとき、母親が気づいて駆け寄ってきた。次の瞬間その子は火がついたようにわっと泣き出した。ふと小学校低学年の頃を思い出す。

 近所の公園に20mぐらいの横に張ったロープを滑車で滑って遊ぶ 遊具があって、そこで友達と遊んでいた。何回か滑った後油断したのだろうか、あっと思ったときには、ものすごい衝撃とともに落下して地面を転がっていた。 肘を大きく擦り剥き血がだらだらと流れる中、何事もなかったかのように立ち上がって、青白い顔をして駆け寄ってくる友達に大丈夫と笑って見せた。

 たぶんあのとき、両親のどちらかが傍にいたら大声で泣いてしまっていただろう。味方がいるほうが弱いこともある。そのあとのことはよく覚えていない。ただ、そのときの傷跡は今でも右肘に残っている。

 よく考えたら、リネでもENDするときは決まって仲間が傍にいるときだ。安心して油断するのだろうか、一人でいるときほど冷静で強くはなれない。

 9月15日

 戯言

 同じ日に生まれ、同じ時を生き、同じものを食べて同じように見聞き感じる人間などいない。完全に同じ人生を歩む人間などいないのだから、自分の話が他人の人生に活かされるだろうなどとは到底思えない。

 人様に意見できるほどのまっとうな考え方の持ち主だとも思わない。こういう考え方もあるのかと笑ってもらえればそれで十分。すべては一夜の戯言。明日になればまた別の言い訳を思いつくだろう。

 9月12日

 カノープス鯖NonPvP化に思う。

 PvPそのものが嫌いなのではなく、それに係わるしがらみだったり軋轢だったり、くだらない面子だとか後腐れだとか、そういうもろもろのやり取りが面倒くさくて嫌なのだ。ドアコンや模擬戦なら嬉々として参加するのにPKは嫌いという人が大多数なのはそのためだろう。

 暗殺、粘着、煽り、嫌がらせ、こういった下世話なものを無くしてもらいたいだけで、PvPそのものの楽しみや自由度は奪わないでほしい。

 プレイヤーは10年前とは比較にならないほど強力になっている。 懲罰の意味をなさない地獄。返り討ちにされるガード。数時間で戻るロウフル。PKを受ける側が不条理にこうむる被害とくらべて、PKをする側のデメリット が比較的小さくなっているのにそれを放置していることこそが問題なのだ。

 COIの着脱ディレイやカオティックペナルティの追加などPvPのバランスをとればいいだけの話で、PvP自体をシステム的にできなくするという解決法は安易で楽な解決策を選んだなという感じが否めない。その分システム的に不自由な思いをするのはプレイヤー達なのだ。

 9月11日

 今回は本気です。

 スタジオジブリの宮崎駿監督が引退を表明した。お年もお年ですか ら仕方ないのかなと寂しく思う。心配なのはジブリに後に続けるほどの才能あるアニメーターが育っているのかということ。今の日本でお金と時間をかけて長編 アニメーションを作れるのはジブリしかない。その集団を生かすも殺すも監督しだい。偉大な先人の影でなお自分を表現できるクリエイターがでてくるか、次の 一作にかかっている。

 思い返してみれば、自分の考え方や生き様の3割ぐらいにはジブリテイストが入っている。ものすごい影響を受けて育ってきた。だからジブリにはここで終わって欲しくない。

 それに言うほど悲観もしていない。引退すると声高に宣言する人ほど戻ってくる確率が高いことを私は経験的に知っているから。

 9月10日

 失敗失敗。

 出かけている間にlineageクライアントのDL完了してる予定が、設定を忘れて30分程度でPCがスリープしてしまった模様。まだDLに8時間もかかる。

 PCの処理能力は飛躍的に向上したので、回線も強化しようかな。

 9月9日

 OLD PC>>>NEW PC

 メモリ 512KB>>>4GB
 CPU ペンティアム4>>>Corei3
 グラボ オンボード>>>Gフォース520T搭載
 OS XP >>> 7
 光学ドライブ マルチDVD >>> ブルーレイ対応
 価格28150円

 これで5年落ちのモデルだから、当時はいくらぐらいだったんだろうな。

 9月8日

 7年後は何歳?

 スポーツを通じて心身を向上させるというオリンピズムの理想は招致が決定するまでの建前に過ぎないのか。スポーツを通じて経済を向上させるという大人たちの思惑ばかりが先行している。

 東京オリンピックの主役は今小学生であり中学生でありそして高校生である子供たちである。オリンピックの経済効果がいくらになるかそろばんをはじくことも大事だろうが、数字には見えにくい身体的効果や精神的効用もオリンピックを開催する重要な意義のひとつだ。

 開催国枠によって、日本ではあまり知られていないマイナー競技にも出場を目指す選手が出てくるだろう。7年後にその姿を見て自分もと思う人たちも出てくるだろう。そうやって生まれる連帯感や友情、新しいものへの挑戦といったものがオリンピック後にも残る貴重な財産となる。

 今日は日本中の人間が自分の年齢に7を足してみたのではないか。まだいけると思った人すべてにチャンスがある。

 9月5日

 後悔先に立たず。

 PCが不調。立ち上げるまでに何度も電源落ちしてしまう。もうこのまま二度と点かないのではないのかとハラハラさせられる。

 バックアップを用意しなければしなければと思いつつ安穏としていて、いきなりPCクラッシュというのはよくある話で、だいたいクラッシュしてからものすごく後悔するものだ。買い替えの準備をしようか。

 あの地震からすでに二年半、そろそろ常備した水や食料も腐ってくる頃ではないか?

 9月4日

 誰にだって、自分の目で見て体で感じなければわからないことがある。

 言葉を尽くせば通じるだろうなどと思いあがるのは、絵に描いた餅の中のアンコぐらい甘い幻想だろう。

 9月3日

 三角形の食べ物は先端が美味いの法則。

 ピザ、イチゴ、おにぎり、スイカ、三角形の食べ物はどれも先端部分が美味いという事に気づいてしまった。

 チーズがとろっとろに溶けて、持ち上げた瞬間にだらりと垂れ下がるピザの先端を、必死に下から迎え撃つあの一口目を想像してください。もうそれだけで参ったという感じがする。

 おにぎりだって先端部分がなぜか美味い。ガブリとかぶりつく一口目、まだ口の中は白飯だけなのに、この先にある具を予感させるプレリュード。同じ白飯だけの部分でも具を通り過ぎた後のおにぎりにはなんとなく残念感がただよい、もういいやと思わせてしまう。

 スイカなんか種に到達する前の上の部分だけ食べられたらどれだけ幸せだろう。 

 9月2日

 一年生になったら、一年生になったら
 友達百人できるかな
 (童謡『一年生になったら』より)

  この歌を耳にする度に、友達って質より量なのかと疑問に思う。親にも教師にもよく言われた、みんなと仲良くしなさい、たくさんの友達を作りなさい、と。で も自分は心が狭いし、気難しいのは自覚があったので、誰にでも仲良くしたり、誰とでも友達になれたりなんかはできなかった。だからって、それで困ったと か、寂しかったなんてことも無かった。

 自分の時間も、割ける労力も無限ではない。馬の合う人がいれば、合わない人もいるのが当たり前で、無理をしてまで、誰とでも付き合おうという気にはなれない。だったらその分好きな人により多くの愛情を注ぐ。

 友達百人もいたら疲れきってしまうだろう。だいたい4.5人がいいところなのではないか。

 9月1日

 理想の自分。

  なりたい自分をイメージして、それを一つずつ実現していく人間が遥かな高みに到達し、やがて成功者と呼ばれる。多くの人がそんな人生に憧れ、そして何故自 分にはできないのだろうと落胆している。だが本当は落ち込む必要などないのだ。本人が自覚していないだけで、誰にでも自分で自分がどういう人間なのかを決 めて、なりたい自分になる力は備わっている。

  この力をプラスの方向に使うかマイナスの方向に使うかの差なのだ。うまくいかない人間は、自分でうまくいかないと思い込んでしまう。どうせだとか、自分に はだとか、うまくいかない自分を正当化し、それが自分なのだとほどほどの自分に妥協してしまう。自分なんてたいしたことないこんなものだとイメージしてし まう。だからそんな自分にしかなれない、いや、そんなイメージの自分を自分で実現してしまっているのだ。

 できる自分を想像し、うまくいくと思い込む。最初はギャップがあるかもしれない、しかし本気で思い込んでいるうちにいつのまにか、思い込みのほうに現実が近づいていく。