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正しいということをもう少し疑ってみるといい。 正論ってやつはたいがい人を傷つける。 1月28日 弱みを曝け出せるのは強さでもある。 体調が悪い時ほど無理をして、結局余計にまわりに迷惑をかける。 ちょっと今はキツイんです、と言えたらどれだけ自分も周りも楽だろう。 1月27日 今年の初風邪ゲットの予感。 やばいやばい、歯でも磨いて寝よう。 1月26日 We need a hero. 四大大会ベスト8に進出ぐらいはもう当然の扱いになってるけど、これまでの日本のテニス界の事情を考えて見ればとてもすごいことなんだよね。 いつだったか日本のテニス人口がかなり減ってきていて危うい、という話を書いた記憶があるのだが、去年からの錦織圭の活躍により大人も子どももテニスを始める人間が急激に増えているらしい。 そのプレイも素晴らしいと思うけど、何よりたった一人の活躍で危機に陥っていた日本のテニス界を盛り返す方向に導いていることが偉大だと思う。 どんな世界もヒーローを必要としている。あんな人になりたい、こんなプレイをしてみたい、そう思わせるヒーローを。イチローや高橋大輔、石川遼、中田英 寿。そんなヒーローを目指した子供たちがそのスポーツを盛り上げ、次の世代のヒーローとなる。ダルビッシュ有、田中将大、羽生結弦、松山英樹、香川真司、 本田圭佑のように。そしてまた彼らに続くであろう今まだ知られぬヒーロー達がいる。 どっかの偉い理事さんがああでもないこうでもないと必死に旗を振ることよりも、たった一人のヒーローの登場を世界は待ち望んでいる。 1月22日 大切だと思える友達を作りなさい。 友達を大切にしなさい。って言うのは何だか二重修飾な感じがして違和感がある。 大切だと思えるから友達なわけで、大切にしたくないような人ならそれはもう友達ではないのでは?とか思ってしまう。 それは恋人でも、家族でも、そうだなたぶんクラン員でも同じかもしれない。 1月21日 認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの誤ちというものを。 (『機動戦士ガンダム』よりシャア・アズナブル) 頭では自分は若いと思っている。体力だってまだまだあるし、お腹も出ていない。ただ本当に若い奴らから見るともうどうしようもなくオッサンなのだ。 それは自分が10代だった時のことを思い返せば歴然で、30なんてもう隣の惑星に済む宇宙人ぐらいの存在で、自分らとは分かりあえない完全なオッサンだとみなしていた。 結局人間は、そうやって過去の過ちの報いを受けていくものなのだろう。この後40、50、60と歳を取って行って、その時、今の自分を思い返してはまた悔やむのも間違いない。 1月20日 例えば、韓国の新聞社が天皇陛下が土下座しているような風刺画を掲載したとしたら。それも表現の自由の一部だと言って尊重できるのですか?という話だと思うのだ。 イスラム教とテロリズムというのは分けて考えないといけない。このままくと宗教的対立が世界を二分しかねない。それこそ過激派の思う壺ではないか。 1月19日 ナトラー。 目玉焼き、焼きそば、豚キムチ、味噌汁、お好み焼き、トースト、何にでも納豆を合わせてしまうナトラーです。 最近、納豆のパッケージが薄くなったと思いません?かき混ぜている最中によく底を破ってしまって納豆のタレがこぼれる事件が多発しています。やっぱりコスト削減の一環なのでしょうか。 納豆混ぜる専用小鉢みたいなものを見た時は、洗うの面倒臭いだろうと思っていましたが、今となってはあれが欲しいような。 1月18日 石橋を叩いて割る。 これは大丈夫だろうか、あれは大丈夫だろうかと、用心に用心を重ねて慎重に行動するあまり、必要のないハンマーやドリルまで持ちだして石橋の強度を計 る。終いには安全なはずの石橋を叩き割ってしまい、あぁやっぱり危険だったと、したり顔で渡らなかったことを誇る人がいる。 えいやっと渡ってしまえば何事もなく渡れたかもしれないのに。あれこれ考える前に動いてみたら。それで失敗しても水に濡れるぐらいのこと、意外と大したことはないし、そっちのほうが気持ちのいい道だったりもする。 1月15日 表現の自由とテロ。 どこまでが自由な表現でどこからが悪口なのか。 どこまでが風刺画で、どこからが侮蔑画なのか。 ペンと剣という単純な構図だけにとらわれていると本質を見失う。 テロという物理的な暴力を行使することは間違っているが、だからといってそれによってヘイトスピーチや侮蔑的表現といった言葉や表現を使った精神的暴力が許されるわけではない。 自由を行使するには、他者の自由に配慮する一定の義務が伴うはずだ。 私はよく嘘を吐き、冗談を飛ばし、皮肉を言う。これらの行為は少なからず相手を傷つけるが、目の前の人物との距離を測って発言しているつもりだ。いつでも、どこでも、誰にでもそのような発言をしているわけではない。 ここでの私とゲーム内での私と雰囲気がぜんぜん違うという話をよく言われるが、それはそうなのだ。誰からも閲覧できるインターネットという場で不特定多 数の人間に言葉を発する場合、その距離感はよくよく吟味しなければならない。不用意な発言が見ず知らずの他人を傷つけることなど容易に起こりうるのだか ら。 ましてや何千何万者という人が目を通す新聞ともなれば、表現の自由を行使するには相当な配慮が必要となろう。 1月14日 化けの皮。 この俺の化けの皮を剥いだら、 すっげぇいい男が現れるかもしれんやんな? 1月13日 明日は明日の風が吹く。 (マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』より) ラストシーンでスカーレット・オハラが言う「Tomorrow is another day.」を「明日は明日の風が吹く」と訳したのは名訳だったのかどうか。 明日は明日の風が吹く。辛いことが合っても、明日になれば何とかなっている、そんなに思い悩む必要はない。 というのと、 明日は今日とは違った一日になるのだから、今日できることは今日やって、明日は明日でまた別の新しいことを頑張ろう。 というのでは、その積極性に大きな違いがあると思う。 さて、今日は赤き騎士団イベント最終日。今日しかできないことをしっかり楽しんで、また明日から別の一日を楽しもうではないか。 1月12日 異物混入。 最近の食品への異物混入のニュースを見ていると、単にわかりやすい悪を叩いてストレスを発散しているだけのように見える。叩きたいから叩いているだけで、大企業に対する嫉妬が透けて見えて気持ちが悪い。 どんなに安全性を高めても、人の手が介在すること、ミスぐらいあるだろう。全国に何千軒とある店舗で年に数件のレベルだったら安全率はものすごく高いと思うのだが。ミスを大目に見る心の余裕がなくなってきてるのかな、何だか世知辛い。 やれ虫が入ったビニール片が入ったということが全国的なニュースになるのは日本ぐらいのものだろう。ほとんどの国では、申し訳ありません新しいのをお持ちしますねというぐらいの話でしか無いのでは? 1月8日 できる限り頑張ります。 できる限りとか、可能な範囲でとか、精一杯みたいな修飾語を使って自分の行動に線を引く人がいる。 無自覚なのだろうが、聞いている人間には、できることしかやりません。挑戦する気はありません。今まで以上のことはしません。向上心などありません。と言っているように聞こえる。 自分のできる限界のその一歩先へ行こうとしない人間に成長はない。 1月7日 惰性。 ドキドキしなくなった。 ワクワクしなくなった。 発売日を一日忘れた。 全部読むのが面倒くさくなった。 なんで買い続けてるんだろう・・・これが惰性というやつか。 月刊マガジンもそろそろ潮時かもしれない。 1月6日 次世代テレビのゆくえ。 4Kテレビが出まわらないうちに、もうさらに倍の解像度を誇る8K相当のテレビを日本のメーカーは開発しているそうだ。 ただ思うに、テレビの売れ行きはもうハード面ではなくてどんなソフトを出せるかということにかかっている気がする。グラフィックを売りにした次世代ゲーム機が不調だったように、いくら美しいものが見れると言っても見たいテレビ番組がなかったらテレビなんか必要ない。 今のテレビ番組にハイビジョンの4倍の更に倍の美しさで見たいような番組ってあるのだろうか。 1月5日 モチ。 今回のイベントの回復モチがディレイ無しで食べられると聞いて、喉に詰まらせないかと見当違いの心配をする。 今年の正月もお餅を喉につまらせて…というニュースを多く耳にした。僕が大好きだったちょっと固めの蒟蒻畑を喉につまらせた人が出た時はメーカーが散々 叩かれて商品回収の騒ぎになり、その後柔らかくなってしまったのだが、毎年多くの人が喉につまらせている餅のメーカーが叩かれることがないのは何故だろ う。 餅メーカーには、切れ目の入れ方なんかで争ってないで、喉につまらせにくい餅の形状の開発で争ってもらいたいものだ。 1月4日 福袋。 行きつけのメロンパン屋さんが、福袋ならぬ福箱を売っていた。一箱1080円也。普段メロンパンだけを一個180円で売っている店なので、中身はやっぱ りそのメロンパンなんだろうなと思う。そうなると最低でも7個は入っていないとおかしいわけで、そんなにメロンパン欲しがる人少ないだろと心のなかでツッ コんでおいた。もしかしたら全然別のものが入っていたのかもしれないが。 福袋の中身は見えたほうがいいのか、見えないほうがいいのか。私自身としては中身の見えないものにお金を出すのは気が進まない。だからといって福袋の中身が全部見えていると、それはただの抱き合わせ販売にしかみえない。難しいところだ。 ニュースなどを見ると初売りに大勢の人が並んで福袋を求めている。3万円相当の品物が1万円でなどアピールしているが、もともとその定価では売ってないし、売れないよねと思うのだが邪推だろうか。 海外には福袋のような商売の方法はあまりないらしい。そもそも商売とは騙すか騙されるかみたいなところがあるので、中身の見えないものなど売れるわけも ない。日本ならではの信用商売といえる。そう考えると、信用を売っているようなものなので中身は相当期待を裏切らないものにしなければならないのか。 福箱買ってみようかな・・・。 1月3日 新年あけましておめでとうございます。 今年も、ぼちぼち気楽に気ままにお付き合いくださいませ。 |