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 5月31日

 モノマネと自分の声。

 ものまね芸人って思っている以上に難しいことをしているのかもしれない。

 録音された自分の声を聞いて、これは自分の声とは全く違うと思ったことは誰しもあることだろう。

 ということは、誰かのモノマネをする時、自分の耳でそっくりに聞こえていてはダメだということ。聞いている周りの人間には全然別の声に聞こえているはずだから。

 そのズレを計算して、他人とそっくりの声を出さなければならないということを考えたら、実は凄いことをしているんだなと感動した。

 カラオケなんかでそっくりに似せて歌おうとすることがどれだけ危険なことかわかった。

 5月27日

 WIN7、8.1でリネにログインできない人へ。

 1.lineageの入っているフォルダの名前を別の適当な名前に変更する。

 2.lineageのアイコンを右クリック、プロパティを開き、XP互換性のチェックを外す。

 この操作を試してみてください。

 5月25日

 落ち目のマック。

 中国産の鶏肉の問題や異物混入の問題で売上激減のマック。

 お客様目線のサービスと新商品で業績回復をというけれど、

 一番の問題点は、商品写真と実物のギャップだと思うのは俺だけ?

 すごく騙された感がするんだよね。

 5月24日

 皆が聴いているから、いいような気がする。

 皆が着ているから、かっこいい気がする。

 皆が食べているから、おいしい気がする。

 そんな判断が、増えているような気がする。

 5月20日

 公式生放送「しゃべりね」

 昔スカイプをゲームに導入して音声チャットができるようにする同名の「しゃべりね」という機能を作ったことはもう忘れているのだろうか。

 GMが積極的にワールド内に出てきて交流をするという話があったが、最初の一月ぐらいでいつの間にか出てこなくなった。

 公式ブログも4月2日の更新を最後に止まったまま。

 思いつきで色々やるのは大変結構だけど、続けましょうよ。三日坊主の中学生みたい。

 このしゃべりね何回続くだろうかと、今から不安でいっぱい。

 5月19日

 不幸になるかもしれないと怯えている時が実は一番不幸で、

 実際にそんな状況になったとしても、なってしまえばなんてことはなかったりする。

 5月18日

 アジト。

 無事にアジトを手に入れることが出来ました。皆さんのご協力にこの場を借りて感謝申し上げます。

 位置は以前のアジトの右上の75間です。

 5月14日

 俺の白血球もっとがんばれ〜。

 5月13日

 誰もが当たり前に読んでくれているだろうという態度。

 Twitterで重要なことをつぶやく会社多くなりましたよね。

 5月11日

 誰かと一緒にいても一人ぼっちを感じるとき、

 その誰かも一緒に一人ぼっちを感じているんだ。

 5月7日

 ジャケ買い。

 CDの中身を全く知らずに、パッケージデザインだけを頼りに購入すること。ジャケット買い。

 曲を全く聞かずに音楽を買う、そんな宝探しのような買い物って現代では無くなったのかもしれない。ハズレも多かったが、お気に入りの一枚に出会えた時の感動もひとしおだった。

 サンプルを聞かせ、過去の購入履歴からあなたが気に入りそうな曲をオススメしてくる今のシステムは便利ではあるが、反面趣味の幅は広がりにくい。売れているものだけが売れる時代。

 万人が認めなくても良い。自分だけのお宝があるはず。便利さや効率を捨て、もっと無駄を楽しまなければならないときが来ている。

 5月6日

 世界遺産。

 人類が共有すべき顕著な普遍的価値を持つもので、未来に向かって保護すべきもの。

 もうあらかた有名所は登録し終えて、最近の登録地は観光アピールのラベルの一つに成り下がっている気がする。それも登録数が世界で1000件を超えたともなるとたいして有り難みもない。

 日本の炭鉱や銀山や製糸工場が世界遺産と言われてもピンと来ないは私だけだろうか。

 エジプトにイスラム政権が誕生してピラミッドを取り壊そうという話があるだとか、ダムに水没してしまう遺跡を助けようだとか、そういうものと一緒にしてはいけない気がする。

 観光のためでなく人類の宝として保存するための世界遺産なんだというところに立ち戻るべきときがきているのではないか。

 5月5日

 人間って、楽をするために苦労を繰り返す不思議な生き物なんだ。

 だからって苦労したくないから、楽をしなくてもいいとは思わない。何もしないってことが実は一番つらいことだから。

 5月4日

 子どもの頃いじめられっ子だったという話はよく聞くけれど、子どもの頃いじめっ子だったという話はほとんど聞かない。

 それは恥ずかしくて言い出しにくいからというよりも、たぶん自分がいじめをしていたという実感がそのときも今も無いからなのだろう。

 自分の行動が相手に肉体的、精神的苦痛を与えているという認識がないことそれが問題なのだ。