|
|
What's New 9月28日
スーパームーン。
今夜は月が綺麗ですね。夏目漱石が英語の教師をしていた時、I love you.を直訳した生徒に「日本人なら『月が綺麗ですね』とでも訳しておけ」と言った逸話があるそうな。今夜はスーパームーン、何人に綺麗な月が見えただろうか。
写真や映像で見ると、何十倍にも大きくなっているように見えるけど、アレって半分スーパームーン詐欺。実際はスーパームーンとはいえ普段の1.14倍の
大きさでしかない。遠距離から高倍率で撮影すればどんな時期の満月でも好きな大きさに拡大できる。実際にスーパームーンを目視した人ならその差異に簡単に
気づけるだろう。
9月24日
異常気象。
50年に一度の大雨が毎年のように降る。河川は氾濫し、山は崩れ、家屋は浸水し、多くの人命が失われた。
それに対し何故誰も、火力発電所を減らせという声を上げないのだろうか。
福島の原発事故が起き、原発が危ないと反対するのはわかる。ならば同じように温室効果ガスを撒き散らしている火力発電所も危ないと反対すべきではないのか。
原発を動かさないでも電気がまかなえていると主張する人間は、2010年に比べ1.5倍近い温室効果ガスを日本が排出しているという事実も知っていて発言しているのだろうか。
福島の避難民は約10万人。鬼怒川の決壊で一時避難した人は2万人。あと何度災害が起こりあと何人被災者が増えれば、火力発電所の危険性に人は目を向けるのだろうか。
9月23日
ラグビー。
女子ソフトボールや女子サッカーみたいに、一過性の人気にならなければいいな。
9月21日
文化庁の国語に関する世論調査。
「やばい」を10代の9割がとても良いこと、素晴らしいこと、という意味で使っているそうだ。20代では半数が、30代以上となると本来の危険なという意味で使う人のほうが多くなっていく。
言葉というものは、時代とともに少しづつ変化していくものだが、この結果を見るとたった十数年で言葉の意味がまるで正反対に変化したようにみえる。
若者が自分たちの間だけで通じる言葉を作ってグループを形成する、というのはいつの時代にも見られたことだが、携帯やネットというツールを得て以前は地域的に徐々に広がっていった使い方がが、一気に同時的に全国に広がるようになったのかもしれない。
最後に一つ、東日本大震災以降急速に広まった「絆」という言葉の本来の意味がわかるだろうか?
9月17日
政党政治の限界。
議会制民主主義とは51%以上の座席を取った政党の意見が通る政治だ。ただ、その51%の内でも過半数があり、全体で言えば26%を占めた派閥の意見が通
る。さらにその派閥の中にも幾つかのグループがあったりすることを考えると、多数決と言いながらも実はほんの少数の意見を通している場合がある。
政党に所属しないと選挙に勝てず、政党に所属しないと議会で意見も言えない。だから多少思うところがあっても政党の意見には反対できない。そうやって国民の代表であるべき議員の行動を縛る。
党議拘束は議員の独自性を奪うので違法という法律でも作ったらどうだろうか。世論を二分するような大問題に対して、ある党に所属する議員は100%賛成
で、別の党では100%反対になるなんて、普通に考えたら異常な光景だ。私達は何も考えていません、上から言われたとおりに行動します、と言っているよう
なもの。
党の束縛から離れて議員各自が自らの信念に照らして投票をしたら多数決の行方はどうなるのか見てみたいものだ。
9月14日
殴られたら殴り返すぞという強さか、殴られても殴り返さないという強さか。
安全保障関連法の改正案に賛成も反対もどちらの言い分にも一定の理はあると感じる。法案の内容に関してだけなら、必要であるとも必要でないとも言えない。
ただやはりこの法案を通すなら、選挙のときに目指していたように憲法を改正して通すのが筋だと思う。それができそうにないから、小手先の解釈改憲で済まそうというのには反対だ。
とは言え、この法案は今国会で通るだろう。自衛隊員に死者がでた時、自衛隊員が誰かを傷つけた時、それでもこの法案は日本に必要だったのだと曲げずに言える、そのぐらいの責任と覚悟はすでに心の中に秘めて政治家の皆さんには法案を通してもらいたい。
9月10日
闘技場は流行らない?
PvPで強さを競う、というところに面白みを感じている人が、かなり少なくなっているのではないか。
勝ったから嬉しい、負けたから悔しい、というより。勝ってレアアイテムが貰えるから嬉しい、負けたら貰えないので悔しい。というように勝敗は二の次なのだ。
ほとんどの鯖をNonPvPにしておいてこれはやっぱりマズかったと、いまさら慌てて対人コンテンツを作ってみたものの、その出来が稚拙すぎて逆に
PvPの面白みを殺しかねないというのは間が抜けているというかなんというか。これのどこをどう楽しんでもらいたいのだろうか。
圧倒的戦力差がないと勝敗が付かないということは、勝った方は罪悪感を感じるし、負けた方には不満がたまる。それが嫌で逃げ続けてもどちらもモヤモヤする。こういうものは互いにギリギリの戦いをして勝った負けたとなるから楽しいものなのだ。
マッチングシステム一つをとってもそういうものになってるとは思えない。レーティング制にして高レートで参加すれば景品が良くなるとか簡単にやりようはあると思うのだが。
競技システムについてはツッコミどころが多すぎて、町中のドアコンの方がもう少しまともなルールでやっている気がしてならないし、そちらのほうがやる方も見る方も面白がっているのではないか。
なんだかグルーディオにあったミニゲームと同じ末路を迎える気がするが、それでも景品のために義務的に参加し続ける人が残るだろうか。
9月9日
なんだか体が重い。
朝の光が恨めしく思えるようになったのはいつからだろう。
9月8日
コミュニケーションゲーム。
MMORPGというのは、どんなに中身を装おうと本質はコミニュケーションのゲームだ。
難しいダンジョンを攻略しようが、いくらレベルをあげようが、それはコミニュケーションの足がかりとしての要素にすぎない。
「こんにちは、今日は天気が良いですね」というアクションの代わりを少し複雑にこなしているだけだ。
リネが初期に流行った理由は先行性だけではなかったはず、チャット周りのUIが素晴らしかったからだ。それは他ゲームに流れた人の多くが口にしていた。
それが何故何年もチャットや掲示板のバグを放置する会社になってしまったのだろうか。
9月7日
有名になりたい。
Twitterでフォロワーを増やすためにトンデモ発言をしてしまうとか、TVに出演したいとか、世間に名を知らしめたい有名になりたいという感情が多くの人にはあるようだ。
私の中にも自分を知ってもらいたいという感情はあるが、それは自分が知っている人に対して自分を知ってもらいたいと思うだけで、自分の知らない人が自分を知っているという状態はとても気持ちが悪い。
そういう意味ではできるだけ無名でいたい。
有名になりたいと思っている人が、有名人を妬んでブログを炎上させたりしているけど、有名になったら今度は自分がそういう攻撃を受ける側に回るのだということをどれほど理解しているのだろうか。
9月6日
フォロースルー。
次の駅で降りた振りをして別の車両に移動するまでが席を譲る行為です。
9月3日
自己犠牲の陶酔。
どうにもならなかったことを、自分の責任にすれば落ち着ける。
どうすればよかったのか考える困難を避けて、自分が悪いと結論付ければ、それ以上責められることもないから楽だし、責任をとったつもりになれる。でも心のなかでは私のせいではなかったですよね、と舌を出している。
自分を卑下するって実は簡単な逃げ道なんですよね。
9月2日
すべての芸術は模倣から生まれる。
赤ちゃんが母親の行動を真似てしぐさを覚え、言葉を真似て話をしだすように、すべての芸術にはその土台となる芸術がある。その上に作家のオリジナリティを発露して新しい美が生み出される。
インスパイヤ、パロディ、模倣。どれも表現の一手法であるし、意識的にせよ無意識にせよ先人の影響を受けない芸術などありえはしない。似ているという理由だけで、なにもかもダメだと言われたら、新しいものが生まれる素地は限りなく薄くなってしまう。
オリンピックのエンブレムが劇場のロゴの商標権、著作権を侵害していると騒がれているが、私には十分別物に見える。これがダメなら、円や三角形、直線などで構成される幾何学的デザインには、全て何らかの似た図案が存在してしまうことになるだろう。
ネットではオリンピックのエンブレムが取り下げられたことに対して、「我々の勝利だ」などと騒がれている。これはちょっと怖いなと思う。確かにコピーや
複製は芸術ではないし、そのような手法を見逃していたデザイナーの信用は堕ちたといえる。だがそれを勝利と呼んで祝杯を上げる心境は私の理解からはほど遠
い。
別のエンブレムを公募しなおすというが、次にどんなエンブレムが出てきたとしてもまた粗探しをして勝利に酔うのだろうか。聖人君子などどこにもいないし、何にも似ることのない芸術もまた存在しないというのに。
こんな雰囲気になってしまったら、まともな精神を持った人間は出品を躊躇するだろう。何をしても難癖をつけられてしまうような状況では、芸術が萎縮してしまう。もっと自由な土壌でなければ新しいものは生まれない。
9月1日
本当に謝りたいときは、「ごめんなさい」という言葉を使わずに謝ってみることを考える。
|